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72. 匿名 2018/10/27(土) 12:15:13
>>30
稲作が発達していなかったんじゃなくて、必要がなかった、という説がある。
現在日本で見つかっている米のプラントオパール(土壌でガラス化した植物)は6000年前の地層。
つまり、縄文時代に稲作はすでに伝来していた。
しかしながら、稲作は工程の多い、手間のかかる手法なのだ。
縄文時代に主流だった栗の栽培のほうが楽チンなのである。
ところが、気候が変動して、栗を栽培し、狩猟と採集する生活が成り立たなくなる。
外傷を受けた遺骨が複数同時に発見されることが少ないため、
縄文時代は戦争がほとんどなかったのではないかと言われている。
しかし、気候変動を迎えた時期には、そのような遺骨が発見されている。
だから、稲作とは気候変動によって、
これまでの栗の栽培では生活できなくなった縄文人が、やむにやまれず
稲作へ移行したものだ、という説もある。+121
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