1. 2025/05/19(月) 12:32:44
2月23日の家庭訪問時には、ケースワーカーCはヨシヒロさんに対し、「熱心な求職活動を行わなければ文書指示を行い、保護の停廃止もありえる」旨を説明しています。これは保護廃止の一歩手前の「最終警告」ともいえるもので、ヨシヒロさんはケースワーカーの強い威圧を感じていたことがうかがえます。
そして、2007年4月2日、ヨシヒロさんは小倉北福祉事務所に「自立しますので平成19年4月10日をもって生活保護を辞退します」との「辞退届」を提出し、保護が廃止となりました。しかし、その廃止から約2か月後にヨシヒロさんは餓死してしまいます。
生活保護が廃止された翌月の5月、痩せ細った体で近所の人に体がつらいと訴えた記録があります。またこの時期は自宅周辺に生えている野草を食べていたそうです。
同年7月10日、異変に気づいた周辺住民からの通報により、ミイラ化したヨシヒロさんの遺体が発見されました。
一緒に発見された日記には、6月5日の日付で「ハラ減った。オニギリ食いたーい。25日米食ってない」と記述されており、この部分が大きく報道されました。
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2007年7月10日、小倉北区で52歳の男性ヨシヒロさん(仮名)が餓死しているのが発見されました。ヨシヒロさんは病気(糖尿病等)のためにタクシー運転手の仕事を辞め、収入がなくなり困窮し、2006年12月に小倉北福祉事務所に生活保護を申請し、受理されていました。 しかし、保護開始からわずか1か月後の2007年1月、ケースワーカーCによる「ケースワーク」が開始されます。このケースワークのほとんどは、市立病院等での「普通就労可」という診断を根拠とした厳しい「就労指導」で占められていました。