1. 2024/11/22(金) 22:15:32
最初に送り込まれたのは、県庁所在地にある総合病院。そこでは当直明けの翌日も夜8時ごろまで働くのが普通とされ、気付くと残業が月200時間を超えていた。当初は体力に自信があり、「耐えられる」と思っていたが、次第に体と心がついていかなくなる。
深夜に緊急手術をしたり、泊まり込みで術後観察をしたりすることもあった。それ、患者の家族からはこんな言葉を投げつけられることも。
「手術のせいで寝たきりになった」
いつの間にか、やりがいも感じられなくなっていた。
(中略)
それでも耐え続けたのは、辞めれば奨学金の負担がのしかかるからだ。医学部卒業から5年間は県内で働かない場合、自力で返済する必要があった。しかも、その場合は「在学中から年利10%と計算する」と定められている。
3カ所目の勤務先は医局の本拠地のある大学病院。ここでも激務は変わらず、不調を訴えてさらに別の病院に移った。そしてそこでも上司と反りが合わず、ついには「適応障害」と診断された。
「もう限界だ。美容外科に行くことにしたよ」
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小山さんは2010年代のはじめ、国立大学の医学部に入学した。通っていた高校では、成績が良い生徒に医学部への進学を勧める傾向があった。最初から医学の道を強く志したわけではなく、「半ば成り行き」という面もあった。 学部時代に見学した手術にひかれ、外科の専門医を目指した。「手術が好きだった」。順調に国家試験も通り順風満帆。「レールに乗った」とも感じていた。