「ルフィ強盗団」山田李沙受刑者の獄中告白「新宿・歌舞伎町の風俗店からフィリピンへ」

224コメント

更新:2024/07/29(月) 00:20

1. 2024/07/12(金) 11:34:00

「ルフィ強盗団」山田李沙受刑者の獄中告白「新宿・歌舞伎町の風俗店からフィリピンへ」 | FRIDAYデジタル friday.kodansha.co.jp

総額60億円以上を騙し取った「ルフィ事件」の特殊詐欺グループの中で、"伝説のかけ子"だった山田李沙受刑者が獄中告白。貧困とイジメ、そして売春。風俗店からフィリピンへ…全てを明かす――。


「私が生まれ育ったのは、埼玉県・川越市。2歳で父を亡くしてから、体が弱く生活支援が必要な母と二人で暮らしてきました。正直、生活は極貧でした。私は小学校6年生から、イジメが原因で不登校になります。理由は貧乏で、家がボロボロだったから。毎日貧乏と言われ続けました。中学に上がるとイジメはより過激になり、暴力を振るわれて膝の靭帯を損傷しボルトを入れた。リハビリに1年を要し、小さい頃の夢であった水泳選手も諦めるしかなかった。自己肯定感が極端に低い子供でした」

高校は川越の定時制高校に進学した。この頃から、山田の生活は荒れ始める。

「定時制高校に進学し、環境が変わってイジメから解放されると、毎日学校に通えるようになりました。ただ、私の行動の根底にはずっと″とにかくお金を稼がないといけない″という強迫観念があったのです。定時制高校で真面目に勉強したとて、まともな就職先はないと悟った。とにかく極貧から抜け出したくて高校時代に援助交際を始め、土日だけで12万〜13万円を稼いだ。18歳になると、川越のキャバクラやおっぱいパブで働きだしました。風俗店で働くこと、売春で稼ぐことに全く抵抗はなかった。私のような人間が稼ぐには、こんな方法しかないと理解していたので……。それでも、ナンバー2や3を行ったり来たりで、なかなか1位を取れないことが悔しかった」

出典:image.news.livedoor.com

■売春も犯罪も「同じ」
高校を卒業して1年が経つと、山田は慣れ親しんだ川越から離れることを決意する。新天地に選んだのは新宿・歌舞伎町だった。

「卒業後、新宿の箱ヘル(店の中にある個室でサービスを提供する風俗店)で1年間働きました。売れっ子になり、少し自信がついた。その後、出稼ぎデリヘルで働いておカネを貯めては、1ヵ月遊ぶという生活を繰り返します。月に約150万円稼ぎ、そのお金はホストクラブや美容に注ぎ込んだ。ホストでは指名はせずに、毎回初回料金だけで遊ぶ。300店以上周り、接客してくれたホストとセックスしまくりでした。今思えばどれだけヤるんだよ、と(笑)。

服装は普段着でも3万〜4万円のドレスにピンヒール。赤いリップに外国人風のメイクにこだわり、SNSでも実生活でも『可愛い』と言われる機会が増えた。この頃には、『私をいじめていた奴等を見返せるほどキレイになった』という感覚になっていました」

快楽に満ちた日々を3年ほど過ごす一方、「こんな生活が長く続くわけはない」という危惧もあった。’19年の9月、ふとした折にTwitter(現・X)で「闇バイト」の募集を見つけた。

「いつまでも若くない。『このまま、一生うまくやってはいけない』と考えるようになっていた。売春で生活するのも、犯罪で生活するのもあまり変わらない、と当時は思っていたので、闇バイトに抵抗はなかった。私は、仕事は実力主義だと思っていたため、固定給の仕事は合わないと感じていた。それに仕事を変えるからには、毎月200万円以上は稼がないと意味がない。カネ持ちになるために、私の中で残った選択肢が『かけ子』でした。普通の仕事ではなく、犯罪で稼ごうと安易に考えていたのです」……

出典:image.news.livedoor.com

▼山田が拘置所内で執筆していた自叙伝的小説『裏社会の女』。A4判のノート118ページにわたり、犯罪に手を染めた女性が転落していく様を描いている

出典:image.news.livedoor.com

出典:image.news.livedoor.com

+7

-179

2. 2024/07/12(金) 11:34:49

+231

-1

3. 2024/07/12(金) 11:34:57

トピ画ちゃんと見れないんだけど、誰かちゃんと貼って

+2

-1

4. 2024/07/12(金) 11:35:04

ワンピースの作者である
尾田栄一郎さんに謝れ!

+168

-13

5. 2024/07/12(金) 11:35:31

かわいすぎだろ!

+2

-43

もっと見る(全224コメント)