1. 2024/06/18(火) 12:33:12
1987年1月22日東京版の朝日新聞には、「近ごろの乗客のマナーはひどい。とくに若者が腹立たしい」という30本前後の電話が新聞社にかかってきたことが報告されている。ドア付近に立っていた女子高生を駅の助役が降ろしたところ、女子高生が足に軽いけがをしたという出来事の報道に対する反応であった。当時の国鉄は謝罪しているのだが、女子高生を責める電話ばかりであった。記者によれば、一人の老読者は、日本は豊かになったが礼節が足りなくなっていると強気だったという。
しかし、その1か月後、2月19日の「女から男へ」という記事では、「車内マナー」というリードがつけられて、「例外なく目につくのが中年およびそれ以上の年齢のオジサンたちのマナーの悪さだ」とされている。そして、足を投げ出す、居眠りをして寄りかかる、大きな口をあけていびきをかく、鼻をほじる、その指をシートでふく、頭をかいてふけを落とす、クシャミをかけるなどの放埓ぶりを報告している。
さらに、空っぽの胃袋の口臭や酒臭い息が充満する満員電車は、避けようとしても逃げ場がないとも訴えている。フリーライターの女性だという投稿者は、スーツを着用したサラリーマンは「服装だけは『よそゆき』だが、そのマナーに関しては、テレビの前にごろ寝の自宅感覚なのだ」と手厳しい。
このようにマナー論争は、年長者と年少者、男性と女性の対立が複雑にからみあいながら進み、問題点も多岐にわたっていく。ただし、その対立が典型的なものとして表れるのが年長男性と年少女性の対立である。その論点をざっくりとまとめるならば、年長男性は年少女性のはしたなさ、厚かましさ、図々しさを問題にし、年少女性は、年長男性のだらしなさ、不潔さ、臭いをマナー違反として指摘する傾向がある。前者にとってのマナー違反は「礼節上の無礼さ」に重点が置かれているが、後者にとっては「感覚的な不快さ」をもたらすことが問題になっている。
ここには礼節を重視する「交通道徳」や美学を表現する「エチケット」から不快を回避する「マナー」への規範の重点の移行と、その途上における複数の規範の対立をみることができるかもしれない。また、「ごろ寝の自宅感覚」を批判しているように、「家の延長」としての車内はすでに過去のものになり、「家のなかではないのだから、互いに他者を尊重してマナーを守るべき」であるという考えが浸透してきていることも確認できる。
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座席で足を広げる、携帯電話で通話する、優先席を譲らない、満員電車でリュックを前に抱えない……など、その「ふるまい」が人の目につきやすく、ときにウェブ上で論争化することも多い、電車でのマナー違反。現代人は、なぜこんなにも電車内でのふるまいが気になり、イライラしたり、イライラされたりしてしまうのか?