1. 2024/04/18(木) 11:36:52
明治時代の文豪として有名な「島崎藤村」ですが、最初の長編小説「破壊」の執筆中は貧乏生活を送っていました。そんな彼の生活を金銭的に支えたのが、妻や妻の実父、友人たちです。それでも裕福な生活とは程遠く、3人の娘が栄養失調で相次いで死亡。葬儀の費用すら用意できず、本を管理していた木箱に娘の遺体を詰めて火葬場に送り届けたというエピソードも存在します。
その後、新たに四女を身ごもった妻も出産時に死亡。島崎藤村と生き残った娘は、家政婦として姪・島崎こま子(以下、こま子)を迎え入れます。
小説「新生」の物語がはじまるのは1912年。当時のこま子が19歳のときでした。
島崎藤村とこま子は禁断の肉体関係を結び、妊娠が判明したのです。
しかし、島崎藤村は妊娠発覚後にもかかわらず、翌年の1913年にフランス・パリへ留学。日本に残されたこま子は、同年8月に島崎藤村との子を出産しました。
文豪も中々のエピソード多いですよね…
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島崎藤村(しまざきとうそん)は、明治時代に活躍した日本の文豪・小説家です。中学校や高校の教科書に登場する偉人であり、現代映画にもリメイクされるほど人気の作品も少なくありません。