吉本新喜劇・島田珠代「娘が8か月のときに、夫はがんで余命宣告を受け」ケンカも増えて決断した別れ

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更新:2024/02/15(木) 11:26

1. 2024/02/13(火) 14:01:31

島田珠代「娘が8か月のときに、夫はがんで余命宣告を受け」ケンカも増えて決断した別れ|CHANTO WEB chanto.jp.net

島田さん:本人が希望したので、大阪で働ける会社を見つけて働いていましたが、夫はもともと名古屋愛が強くて、大阪に慣れることができませんでした。抗がん剤の影響なのか精神的なバランスも崩しがちで、葛藤もあったと思います。 島田さん:私は夜も仕事があったので、実の母が泊まり込みで来てくれていました。私が夜中まで稽古があるため、夫と母だけになることも多かったのですが、けっこうふたりがぶつかることがあったらしくて…。 母は老体にむち打って幼児の世話をし、私のかわりに家事を手伝ってくれていたのですが、夫から「今日もお惣菜ですか?」


■「夫婦のケンカを見せたくない」下した決断

島田さん:娘が2歳になり、親のケンカを見せるのもよくないと思いはじめました。夫の主治医は名古屋にいるので、「名古屋の会社にもし戻れるなら、離れて暮らしてみる?」と聞いてみたんです。すると夫は、「僕は、娘を名古屋に連れて帰るつもりだし、離婚したい」と。

「いやいや、そんな簡単に娘を連れて行くなんて言わないでよ」って、ずいぶん話し合いをしたんですが、「余命5年の僕から娘をとったら、何のために生きていけばいいのかわからない」と夫に言われて、結局、私が折れました。私、もうなにもかもわからなくなって…。

ほんとにいろいろあって、やむなく娘を手放しました。そんな簡単に決着したわけではないです。なんとか2週間に1回は私が名古屋まで娘に会いに行く約束はとりつけましたが、10年近くそんな生活が続くとは思いませんでした。
「離婚で3歳の娘と別れて生活」吉本新喜劇・島田珠代「苦しくてつらくても」舞台に立ち続けた|CHANTO WEB chanto.jp.net

「ママ~、ママ~」と叫ぶ娘の乗った車がかすんで行って…■「泣き叫ぶ娘」を見て身の切れるような思いでした できるなら車を追いかけたかったし、身の切られるような思いでした。車と娘がどんどん遠ざかって小さくなっていくんですよね、ドラマでしか見たことない光景でした。 その日も、新喜劇の舞台がありました。つらくても舞台に出なければならない。しかも、すごく笑わせないといけない役でした。うわー、芸人ってすごい商売だなぁと。


■娘に会うために「10年間」名古屋へ通い続けた

島田さん:約束どおり、2週間に一度は名古屋まで会いに行きました。でも別れ際は、広い名古屋駅構内に響き渡るくらい娘が「いやー」っ」泣き叫ぶので、会いに行けば行くほどつらい思いをしました。

島田さん:10年間です。夫は生前「僕が生きている限り、娘が20歳になっても30歳になっても名古屋からは出さない」と言っていました。

末期の直腸がんで余命5年と言われていましたが、彼は11年間生きたんです。娘の一番かわいい時期を独占できて幸せだっただろうし、生きがいになったでしょう。

島田さん:夫の病状は徐々に悪くなりました。生活がおぼつかないので、夫の両親が一緒に住むことになったのですが、その両親も夫より先にたて続けに亡くなりました。

やがて、遊びたい盛りの小学3年生の娘が、ご飯を作ったり、洗濯したりしていると聞いて、うちの母が名古屋に行って同居しました。

(略)母が「私は孫もかわいいけど、子どもが一番かわいい。子どもがかわいいから、孫もかわいがれる。あなたは大阪にいて新喜劇で仕事をして、その位置を守りなさい。私はそのためならなんぼでも我慢できるから」と。

娘が小3~小6の3年間、夫が亡くなるまで母が住み込んで、ふたりを世話してくれました。あとから聞いたら、ケンカしたりいろいろあったそうですが、最後は母が私の夫を看取る感じでした。

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2. 2024/02/13(火) 14:02:09

パンティーテックス!!

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3. 2024/02/13(火) 14:02:11

私の永遠の憧れ珠代姉さん

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4. 2024/02/13(火) 14:02:33

パンティテックスで笑えなくなっちゃうよ…

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5. 2024/02/13(火) 14:03:28

この人の芸風が苦手

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