1. 2023/11/15(水) 19:33:47
そんな時、谷からの漫才を盛り上げたいという言葉で、こんな物を作ろうと話をしました。
普通の人間なら、そうですねーと相槌打って終わるのですが、谷はいつものように熱く語るでもなく、淡々と内容を質問してきます。
演者が審査に納得する戦い、だから審査員は点数をその場で公開する、これも審査員が笑いのセンスを視聴者に審査されるわけですから、やってくれる人間がいるか?
そして、高校野球のように、予選からはじめて、プロセスから見せて盛り上げる。
最後は賞金を1000万。
新人の漫才の大会で、1000万なんて当時は超破格でした。
そんな私の提案を、谷は1人で動き、1人で作り上げていきました。
私は表の人間ですから、島田紳助がM-1を作ったと言われてきましたが、私の中では、M-1は俺と谷で作ったんだと、ずーっと思い続けていました。
私がライダーで谷がメカニック、2人のチームでした。
谷は裏で苦労したことも沢山あったでしょうが、私も表で大変でした。(笑)
審査員のなり手がなく、私も直接お願いしたり。
松本人志も快く審査員を承諾してくれ、これも私には重要なことでした。
演者が納得するには、松本人志がいてくれないと困るのです。
当時彼は、若手のカリスマでしたから、快くオッケーしてくれ、私が引退するときもM-1頼むなの約束を守り、今もやってくれてることに感謝です。
そう言いながら、やめてから1回もM-1見てませんが、やめた世界に興味がないんでしょうね。(笑)
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2011年に表舞台から去った島田紳助氏には、「M-1」についてずっと言いたかったことがあった――。元吉本興業の谷良一氏が「M-1グランプリ」の立ち上げについて初めて書き下ろした『M-1はじめました。』の帯を島田氏にダメもとでお願いしたことから、熱い再会ドラマにつながった。谷氏が番組プロデュースの現場を離れて以来、16年ぶりに言葉を交わした2人、それぞれの思いとは。