1. 2022/07/17(日) 23:48:30
(妊娠)14週目に重度の障がいがあることがわかったのです。残りの受精卵は20個以上あったので、その段階で堕胎する選択肢もありました。でも卵子提供を決めたとき、来てくれる子供に条件をつけないことをルールとして自分に課したのね。だから、ドナーも自分で選びませんでした。
帝王切開で出産。仮死状態だったので即ICUに入り、次から次へとドラマのようなことが起こりましたが、なんとか乗り越えられました。 2年後に息子が退院。24時間点滴をしなければ息子は生きていけなかったから、自宅に人工呼吸器・酸素吸入器・加湿器などを持ち込み、家の中をICU状態に。退院準備を始めたとき、看護師さんに国からのサポートを尋ねたら、「基本的に24時間お母さんがお世話します」とおっしゃった後、「野田さんは無理ですよね」と。一方の夫は自営業だから融通が利く。申し訳ない思いでいっぱいだったけど、受け止めてくれたんです。
実は結婚するとき、50歳で政治家を辞めると夫と約束したんです。でも息子が障がいを持って生まれてきたことで、国の制度が整っていないことに親として気づき、こんな国のままでいいはずがないと思ったの。夫との約束を破ってしまう形にはなるけれど、損をしている人が損をしない仕組みを何かしら作って、政治家としての集大成としたいな。
出典:img.magacol.jp
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政治ひと筋で突っ走ってきた野田聖子さんは、40歳で不妊治療を始め、卵子提供で50歳で出産。「政治家として命を守ること、自分以外の誰かのために命を懸けることの大切さをさらに実感した」と語ります。