1. 2022/06/27(月) 11:11:27
いくら服をたくさん持っていても、その服を着ないのなら、それは存在しないのと同じこと。
服というものは、誰かが着て初めてそこに意味が立ち現れます。見ているだけ、触っているだけでは、まだそれは単なる品物にすぎません。しかし、その単なる品物に誰かが袖を通し、脚を入れたときに、服そのものにあたかも生命が宿ったかのような瞬間が訪れ、それは時に騎士のように着る人を外敵から守り、道化のように着る人を楽しませ、愛馬のように着る人をどこかへ連れていってくれるものへと変容するのです。
誰かが着ない服があるのなら借りればいい、もしくは私の着ない服と交換してしまえばいい、そう考えて、それ以来、お金があるときもないときも、私はいろいろな人と服をシェアしたり、交換したりを繰り返してきました。
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あれは二十歳少し前のころのことでしたでしょうか。大人になって、働いて、30歳になったころには、好きな服を好きなだけ買えるようになるに違いないと、漠然(ばくぜん)と思い描いていました。二十歳前の私にとって、30歳は立派な大人で、仕事に就いていれば、そんな他愛(たあい)もない夢など、簡単に叶うものと、疑いもなく信じていました。