1. 2021/05/12(水) 11:43:08
「自分が悪いことをしたから殴られている。そう思っていたから、父親の暴力は許せました。でも、両親の異様なまでの男尊女卑な感覚だけは、どうしても許せませんでした」
お兄さんが高校生に、羽菜さんが中学生になった春のある日。入学祝いを兼ねて、いつもより少し高級なレストランに行くことになりました。席に着くと、ひとりひとりにメニューが配られ、羽菜さんは気分が高揚しました。
それまで羽菜さんの家庭では、父親だけがメニューを見て家族の注文を勝手に決めていたため「やった! 今日は自分の好きなものが食べられる!」と嬉しくなったからだというのです。さっそくメニューを見ようとすると、母親が「メニューを開いちゃダメ」と一喝。父親からは「女のクセに(メニューを見るなんて)はしたない! そんなことじゃ、将来、嫁の貰い手がなくなるぞ!」と、罵られる始末。
その後も、掃除、洗濯、炊事、買い物、来客時のお茶出し、庭掃除――そうした家事を「女だから」と自分だけが手伝わされることに、疑問しか抱けなかったという羽菜さん。高校卒業とともに奨学金で関東の大学へ進学し、そのまま就職。以来、実家に帰るのは数年に1度程度に抑え、できるだけ家族とは距離を置いているといいます。
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鹿児島県で高校生までを過ごし、現在は千葉県にお住まいの羽菜さん(仮名・33歳)は、実家での生活を振り返り「実に理不尽」と吐き出しました。 両親、兄、弟の5人家族。父親はいわゆる九州男児で、何か気に食わないことがあると鉄拳が飛び交うことが当たり前の生活でした。母親は暴力を止めることなく傍観するのみ。羽菜さん兄弟は、常に体のあちこちにアザができていたといいます。