1. 2020/07/02(木) 23:22:09
「選挙権が制限されていた最大の理由は、外部との安定した通信自体が極めて困難な環境にあったことが挙げられます。選挙権が制限されていた当時、青ヶ島と島外との通信手段は日に数度、且つ短時間しかできない不安定な無線電話のみでした。これは島外から来る船の運航にも支障をきたしており、船が海の状況を青ヶ島に尋ねても、返答がその日のうちに返ってこないというレベルであったのです」
電話などが通じていれば、離れていても現地での開票結果を伝えることができる。しかし、そういうこともできない環境にあったのだ。
「世間的にも、青ヶ島は完全に秘境扱いされていました。『こういう島らしい』という真偽不明の伝聞形式の情報が多く、当時の報道では『20人の巫女が麦まきまで支配しているらしい』だの『食器も使わないので、戦後進駐してきたアメリカ兵が持ってきた栓抜きを島民が知らなかったらしい』だの、完全に外部と隔絶された謎の島のような噂が堂々と取り上げられていたのです」
出典:www.dailyshincho.com
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伊豆諸島の孤島である青ヶ島の住民は、戦後しばらくの間、何と1956年まで選挙権が剥奪されていたという歴史を持つのである。