ガールズちゃんねる

【実況・感想】べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺~ (1)「ありがた山の寒がらす」

8510コメント2025/02/05(水) 19:56

  • 8501. 匿名 2025/01/20(月) 21:39:41 

    >>375
    綾瀬はるかさん人気あるし綺麗だとは思うけれど、演技は好きじゃないし声も合ってないと思ってしまう
    自分は魅力があまり分からない
    存在感がある人なんだろうね

    +1

    -2

  • 8502. 匿名 2025/01/23(木) 18:24:31 

    三回目放送の後でもまだ死体の事書いてる人がいる…。

    +1

    -0

  • 8503. 匿名 2025/01/26(日) 03:21:11 

    >>3074
    笑った顔は似てると思った

    +0

    -0

  • 8504. 匿名 2025/02/01(土) 06:52:41 

    小説「田沼意次」(村上元三)を図書館で発見。
    1997年発行。781ページの大作。
    文庫本では全3巻だけど、今は絶版。
    今年こそ売り時なのに!

    意次の元服前から始まり、その死まで。
    蔦重との出会いはないけど、源内との出会いは書かれます。明和2年の出会いで、源内は火浣布(防火布)と手造りの温度計を贈り、意次は蘭学者たちから新しい知識を得たいと源内に橋渡しを頼み、二人はドラマどうりに親しくなっていきます。
    けれど、この二人の先の運命を思うと悲しい…。

    +2

    -0

  • 8505. 匿名 2025/02/01(土) 19:27:33 

    「賀茂真淵」(三枝康高著)より

    『しかも真淵の晩年に際会した時代は、近世文化の頂点を形成した元禄年間の半世紀のちであって、すでに無用の存在と化した膨大な武士階級を抱える封建社会は、さまざまの矛盾を露呈しはじめ、躍進は停滞に変じなければならなかった』

    「無用の存在と化した膨大な武士階級」!
    この無用の武士階級に対して、国学者の賀茂真淵(1697~1769)は著書「国意(くにのこころ)」で、人を最も多く殺したものが徳川将軍となり代々栄えていると強烈な批判をしています。

    賀茂真淵は、延享3年(1746)田安宗武(賢丸の父)の和学御用に任じられます(真淵50歳、宗武31歳、田沼意次28歳)。
    万葉調の優れた歌人だった宗武との交流は古代を理想と考える尚古思想の契機となり、真淵は国学の指導的地位にのぼります。
    また宗武の子女のための手本も書いて、その教育にも親しく預かっています。
    賢丸は宝暦8年(1758)生まれのため、宝暦10年まで宗武の元につかえていた真淵に直接教えを受ける事はなかったでしょうが、田安家の気風に真淵は色濃く影響を与えたと思います。


    +0

    -0

  • 8506. 匿名 2025/02/04(火) 19:08:26 

    「日本随筆大成」という全23巻の江戸時代の随筆集が図書館にあったけど、その中に松平定信の随筆「閑(しずか)なるあまり」発見!

    『閑なるあまりに、さまざま筆記などをさぐりけるが、いともありがたき仰せごとのしるせるをみるごとに、いささかここにしるしぬ。
    此のうへなほ、このたぐひの書翰を捜索し、書きたして子孫にしめさんとばかりなり。
    例の事、まったくせんとしては、時日をのばして、しかも事も終わらざるものなれば、まづそのかたはしをしるして、盲言をかいつけて、これを子孫にあたふるものなり。やむごとなき仰せごともあれば、窓外に出すべからざる事を、示しおきぬ。』

    現代語訳じゃなかった!
    わかるような、わからないような。
    自分で調べるしかないか。
    文政のころなので定信、晩年の頃のよう。

    +0

    -0

  • 8507. 匿名 2025/02/04(火) 20:02:29 

    宝暦13年(1763)平賀源内、賀茂真淵に入門。
    第1回の9年前の事。詳しい事はわからないので、真渕の歌を書いておく。

    秋の夜の ほがらほがらと 天の原
    照る月影に 雁鳴き渡る

    蟋蟀(こおろぎ)の 鳴くや県(あがた)の
    わが宿に 月影清し 訪ふ人もがも

    あがた居の 茅生(ちふ)の露原 かき分けて
    月見に来つる 都人かも

    こほろぎの 待ち喜べる 長月の
    清き月夜は 更けずもあらなん

    鳰(にほ)鳥の 葛飾早稲(わせ)の 新絞り 
    酌みつつ居れば 月傾きぬ



    +0

    -0

  • 8508. 匿名 2025/02/05(水) 07:20:10 

    週刊江戸(ディアゴデステーニ)53『日本初の物産展』では、物産展の発案者でもある平賀源内が大きくとりあげられてます。

    日本初の物産展は『東都薬品会』。
    珍しい動植物や鉱物が展示され、医者や薬種問屋の情報交換の場となりました。

    それまで書物か、ごく少人数の学者による内輪の情報交換に限界を覚えていた源内は、広く全国から展示物と学者を集めて物産展を開く事を発案しました。そしてそれは全国の産業の振興にもなるとの思いもあり、それに賛同した人々の、協力を得ることが出来て、物産展は大成功を収めました。

    一方この頃幕府や諸藩も、財政再建の一環として薬の国産化に代表される殖産産業のプロジェクトに取り組んでました。

    こんな中、高松藩の松平頼恭(よりたか)に仕え、財政再建に功績のあった源内の名はすでに全国区であり、物産展はますます源内の名を高める事になりました。

    これが平賀源内30歳、宝暦7年(1757)将軍家重の時代。
    そして、この功績も源内の人生のほんの一部にしかすぎません。
    多才な彼を主人公にした大河ドラマが、その内作られるかもと期待です。
    べらぼうで江戸文化の魅力が広まっていくようなので、平賀源内の大河ドラマ化も夢じゃないかも。

    なお、この年蔦重は8歳。江戸中期の出版界を代表する人物なのに『週刊江戸』では「偉人・奇人列伝」の1ページだけ。
    功績と知名度は必ずしも比例するものじゃないけど、べらぼうで蔦重の知名度もめでたく全国区!





    +0

    -0

  • 8509. 匿名 2025/02/05(水) 19:52:48 

    NHKテレビドラマ(1971年)「天下御免」の脚本が全3巻の本になってた!
    当時見てたけど、記憶はおぼろ。
    主人公の平賀源内は多才な人というより、面白いお兄ちゃんだった記憶。
    今脚本を読んでも、やっぱり面白い人。
    源内の著作からキャラクターが出来たんだろうけど、その分、才人という印象が弱くなってる。

    べらぼうの源内は面白キャラで有りつつ、才能の凄さを見せてくれてる。
    ただ、蔦重とこのドラマで最後まで一緒じゃないのが悲しい😢。

    +0

    -0

  • 8510. 匿名 2025/02/05(水) 19:56:13 

    平賀源内。
    陶芸家、鉱山家、コピーライター、起業家、画家、発明家、文芸家…多才な人です!

    +0

    -0

コメントを投稿する

トピック投稿後31日を過ぎると、コメント投稿ができなくなります。