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1697. 匿名 2016/09/17(土) 22:37:06
びっくりした
ここにも雅子様アンチが来てるとはw
雅子様のお祖父様の江頭豊氏は日本興業銀行からチッソの被害者補償が進むよう派遣されたんだよ
以下時系列をかいつまんで書いておきます
江頭豊 1933年東京帝国大学法科を卒業後、日本興業銀行へ入行。
1962年日本興業銀行退職。
1964年新日本窒素肥料専務取締役に就任
1946年 日本窒素がアセトアルデヒド、酢酸工場の排水を無処理で水俣湾へ排出。
1958年 熊本県が水俣湾海域内での漁獲を禁止
1959年 酢酸設備排水が水俣病を引き起こすことは明らかになる
通産省は新日窒に対しアセトアルデヒド製造工程排水の「水俣川河口への放出」を禁止し、新日窒は指示に従い、排水経路を水俣川河口から水俣湾百間港に戻し1968年まで排水を流し続けた。
熊本大学水俣病研究班は、原因物質は有機水銀だという発表を行う
新日本窒素肥料は水俣病患者・遺族らの団体と見舞金契約を結んで少額の見舞金を支払い、排水停止を求めていた漁業組合とも漁業補償協定を締結。これらの一連の動きは、社会的には問題の沈静化をもたらし、水俣病は終結したとの印象が生まれた。
1960年 政府は経済企画庁、通商産業省、厚生省、水産庁からなる「水俣病総合調査研究連絡協議会」を発足させ原因究明にあたらせた。
1961年:水俣市で女児(3歳)死亡。病理解剖で胎児性水俣病と確認。
1962年:水俣病審査会、脳性小児マヒ患者16人を胎児性水俣病と認定。
1963年:2月16日、熊大研究班の報告会で、入鹿山且朗熊大教授が「新日窒水俣工場アセトアルデヒド酢酸設備内の水銀スラッジから有機水銀塩を検出した」と発表
1964年 江頭豊 新日本窒素肥料専務取締役に就任
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