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陰謀論part2

1601コメント2016/08/02(火) 15:49

  • 320. 匿名 2016/07/04(月) 10:03:21 

    プーチンによるネムツォフ暗殺事件

    モスクワで、ロシアの反政権指導者ボリス・ネムツォフが2015年2月27日、
    クレムリンのすぐ傍で、何者かに射殺された。
    再びメディアは、プーチンが暗殺したものとして一斉に報道を開始。
    真実はいかに。

    ネムツォフにはある程度の知名度があった。
    1997年4月の世論調査でネムツォフは、
    「次期大統領にもっともふさわしい人」ランキングでトップに躍り出る。
    ネムツォフはこの頃人生の頂点にあった。
    しかし、ロシア国内の情勢が彼の人生を暗転させる。
    ネムツォフが第1副首相になった翌年にデフォルトが起こったのだ。


    ネムツォフが第1副首相をやめた翌年、ロシアには新しいリーダーが登場。
    FSB(旧KGB)の局長だったプーチンが首相に任命されたのだ。
    2000年、プーチンは大統領になり、
    ロシアの政治経済を私物化していた新興財閥軍団オリガルヒとの戦争を開始。
    ネムツォフ自身は、1999年12月の下院選挙で当選。
    しかし彼が率いる「右派連合」の得票率は、わずか6.6%で4位という結果。
    そして、03年の下院選挙で、得票率4%。
    さらに07年の下院選挙で右派連合の得票率は、わずか1%で惨敗。

    なぜネムツォフの人気は衰えたのか?
    理由は彼が、西側の価値観、つまり「民主主義」「新自由主義」などを主張していたこと。
    ロシアはソ連崩壊後、いわゆる民主派の人たちが改革を主導した。
    これが大失敗し、ロシア経済は壊滅的状態になった。
    それでロシア国民は、「民主主義」と「資本主義」を憎悪するようになった。
    ネムツォフがつるんでいたのは、この急進改革を主導したガイダル(元首相代行)、
    チュバイス(元副首相)などだった。
    一方その対極にいるプーチンは、新興財閥から石油部門をとりもどし、
    00~08年平均7%という90年代からはありえない成長を実現させた。
    00年代をとおしてプーチンは浮上し、ネムツォフは沈んでいった。
    これが事実なのだ。
    しかし、盤石に思えたプーチン体制にも揺らぎが生じる。
    まず08年にアメリカ発「100年に1度の大不況」が起こった。
    09年、ロシアのGDPはマイナス7.8%。
    また、12年にメドベージェフが去り、プーチンが大統領に復帰する際、
    全国で大規模なデモが起こった。(デモ隊には欧米からの雇われもいた)
    プーチンは14年3月、クリミア併合で、再び人気を取り戻し、
    その後80%以上の支持率を維持していたが、
    「制裁」「原油価格暴落」「ルーブル暴落」で危機が長引けば、
    国民の不満は高まりプーチン離れが進むかもしれない。

    ネムツォフは、第1副首相になった翌年にデフォルトが起こった。
    その後は、プーチンが現れたことで活躍の場がなく、影響力が衰えていった。
    ようやくプーチン体制に小さなほころびが見え、ネムツォフは
    これからまた自分の時代がくるか、と希望を持った時に殺されてしまった。


    つづく

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