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11575. 匿名 2016/05/10(火) 17:16:41
>>11569
Vol. 2 「明暦の大火から江戸を復興させた名君・保科正之
~今日の震災復興にも教訓~」
被災者救援にも力を尽くした。まず粥の炊き出し。江戸の6カ所で、一日千俵の炊き出しが7日間行われ、さらに延長された。同時に、家を焼け出された江戸町民に救助金として16万両を支給することにした。幕閣の間からは「それではご金蔵がカラになってしまう」と反対する声が上がったが、正之は「幕府の貯蓄はこういう時に使って民衆を安堵させるためのもの。いま使わなければ、貯蓄がないのと同然だ」と一喝したという。今日の震災復興の議論において、多くの特別会計に多額の黒字(いわゆる埋蔵金)があるにもかかわらず、それにはほとんど手をつけないまま安易に増税に走ろうとしている現状を見たら、保科正之はなんと言うだろうか。
ここで浮上したのが、江戸城の再建問題だ。前述のように、江戸城は西の丸以外はすべて焼失してしまったため、本丸や二の丸、三の丸が再建された。だが天守閣はついに再建されなかった。これは正之が反対したからだ。その理由は、天守閣は城の守りに必要というよりも遠くを見るだけのものになっており、このような時に天守閣の再建にカネを費やすべきでないというものだ。「今のようなときに天守閣を建設するのは庶民の迷惑になる」とまで言ったという記録が残っている。天守閣は権力と権威の象徴であり、当時の常識ならその再建は最優先課題だったといってもおかしくない。正之はそれを否定したのである。まさに、国難に直面し、優先順位を明確にして復興に取り組んだのだった。ちなみに、江戸城の天守閣はその後も再建されることはなかった。現在の皇居東外苑の一角には、天守閣の土台である天守台だけが残っている。+6
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