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726. 匿名 2016/04/24(日) 22:33:32
続き
【辰国】即ち【天の王朝】を構成した倭人のうち、王朝の本流であるサカ族系は後にサンカとなり傍流の秦族は源氏、マラ族は平家をそれぞれ名乗るのです。
この【天の王朝】の時、既にカースト・ゲット-制が存在し、農民がある一方農業を行わない民族があって、農業地帯と山岳民族の区域を斑状に分離し神社を建てて結界を引きました。これはイラン文化の特徴であって、牧畜文化と農業文化の混在状態に於ける農業を差別するスキタイ民族が作り出し、インドのカラー差別にもつながります。
【別所・別府】などと云われ、サンカ・木地匠・杜人・タタラなど山岳の人々が農業民と分離して生活したのです。辰韓の農民は鳥葬を行っていますが、鳥葬のルーツは殷民族といわれるチベット苗族であり、日本でもクメール族はストーン・サークルに屍体をおいて鳥葬を行ったといわれます。
【蘇民】はスキタイを意味すると共に【けがれ、よごれ】の意があり農民サイドからの蔑視です。後、律令制に於いても、荘園内部にはゲットーとして【院地・散所】が作られ、非農地域として発展し、商業基地になってゆくのです。
遡ることインド十六王朝の時代、バンジャップからマガダに侵入したアーリア族は原住民のドラヴィダ族と、しばしば斑状共存を行い、別邑を作りながら侵略支配をしていきました。
モウリア王朝に至る頃には東進するイラン族とシルクロードを支配し、黒海からドーソンにかけて青銅文化を伝達したサカ族との共同文化であったと思われます。
【帝釈天】はインドラ神ですが、元々ヒッタイトのインダナ神をルーツとし、イラン系の神話とサカ族による初期仏教の説話の混合によります。
このイランとサカの両民族の文化の違いからイラン民族のカースト制を否定しようとするサカ族のシャカ仏教とジャイナ教が発生します。
サカ族は、BC413年~BC326年までのナンダ王朝とBC321年からBC180年にかけてのモウリア王朝の主要な部族であり、一族から釈迦を輩出しました。
元々、シュメール語で【サング】とは僧をいみする言葉で、
インド語では仏僧の集団を【サンガ】といい、これが日本で【鹿】【坂】となり、坂の者・サンカの語源となります。
【鹿】がサカ族の【サカ】からきた言葉であることは既に学界でも認められていることです。
さて、サカ族とユダヤ族などの非アーリア系を包摂したモウリア王朝は亡んでしまいます。
すると、スーダラ出身のカリンガ王朝では、却ってカースト制の強化が増し、バラモンの教義が復活してしまいます。
この後は、インド亜大陸ではカースト制否定の兆しはまったく発生せず、戦後ガンジーもまた、カースト制
を否定しようとして暗殺されるのです。
日本の被差別部落の問題も、こうしたインドのカースト制からきています。+2
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