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超古代文明について!

804コメント2016/04/29(金) 10:13

  • 624. 匿名 2016/04/14(木) 16:14:49 

    続き

    このイラン人がバビロンにおいても、アナトリアにおいてもさらに時代が下がって、カッシート、ウラルトゥ、ミタンニの諸王国においてもヒッタイト王国においても、実は、それぞれの王国の指導階級をなしていたことが明らかになっています。
    そもそも彼らの源流はチグリス・ユウフラテスの両河が育てた原始農民の文化としてオリエントおよびその周辺の遺跡から出土したものが最も古いとします。
    わたしは、さらに遡って、パレスチナのエリコで始まったナトゥフ文化、もっと以前は、カルメル山のケバラ人が祖ではないかと推測しています。
    根拠は、前に書いた下記の記事によります。

    ★ケバラン洞窟で、ネアンデルタール人の成人男子の化石が発見されています。
    この化石には「モシェ」という愛称がつけられましたが、この化石が発見された層ではムスティエ文化型のフリント石器が発見され、これは6万年前と測定され、このケバランの石器文化は、パレスチナのナトゥーフ文化に引き継がれます。

    ★パレスチナのカルメル山にあるタブーン洞穴で発掘された女性の骨格はネアンデルタール人の身体の上に
    丸くてずっと現代人的な頭がのっているという、明らかに混成的なものであったとされます。

    ケバラ人の流れを汲むナトゥフ人がメソポタミアから黒曜石や自然銅などの金属を求めて中央アジアやシベリアなど東方へ移動したものと考えます。
    またアナトリアから北方へ移動しヨーロッパへ向かった人もいたでしょう。
    治金技術の根源は現在のトルコ、チャタルフュイックにありました。
    ヨーロッパの銅時代をBC4500年からBC2000年まで、青銅時代をBC2000年からBC1000年までとしています。
    これらの時代はヨーロッパの巨石文明時代と重なっています。
    ヨーロッパの巨石文明でもっとも有名なのは、イギリスのストーン・ヘンジです。
    そのイギリスつまりブリテン島の対岸の、フランスのブルターニュ地方もまた、カルナックの巨石文明で有名です。
    ブリテンにしてもブルターニュにしても語幹に「ブリ」または「ブル」という言葉を含んでいる点、【ブル】は、現代の英語で【牡牛】を意味し、それはアナトリアからメソポタミア
    へ流れた文明の言葉では、牛を意味したと。
    ブルはウルにBという接頭語がついた形であり、さらに興味深いのは、イギリスに現れたもっとも古い人間はイベリア人であったと。
    イベリアとは、現在ではスペインとポルトガルを指しイベリアという言葉の中にも、ベリという多分ブルから変化したと考えられる語幹が潜んでいるという説があります。
    世界的にも、地名とそこにかつて住んでいた民族の名とは密接な関係がある場合が多い。
    そこで諸般の状況から、イギリスやフランスなど、ヨーロッパ北西部の巨石文明は、イベリア半島経由で、アナトリアもしくはメソポタミアからやってきた・・・すでに銅冶金を知っており、ヨーロッパに最初に銅をもたらした人々によってつくられた可能性が高い。
    ヨーロッパで銅や金が最初に現れるのは、BC5000年頃、場所はバルカン、現在のブルガリアとルーマニアを中心とした地域です。
    これらの地域は、南部のバルカン山脈、西北のトランシルバニア山脈、さらに北部のポーランドまで伸びる
    カルパチア山脈によって囲まれ、これらの山は、昔から銅や金を産出したことが知られています。

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