ガールズちゃんねる
  • 2785. 匿名 2016/03/30(水) 11:06:52 

    12月5日、東京の東中野駅構内で、電車の追突事故が起きた。Aは順子に「あの電車にお前の父親、乗っかっていて、死んだってテレビでやってた。お前見たか」とからかった。順子は不安そうな表情を見せると「どんな気分だい」と訊き、「悲しいです」と答えると「実はウソだよ」と言ってはぐらかした。こんな調子でAとB、Cの3人は「死んだ」「生きている」を何度も繰り返し、心理的に順子を追い詰めていった。

    12月10日ころ、順子は「家に帰りたい」と言い始めた。すると、Aが「家に帰ったら母親に何て言うんだよ」と言うと、順子は「今まで新宿で遊んでいました」と答えた。それに対し、Aは「新宿で、学生服のままそんなに長く遊んでいられるかよ」と言って、殴ったり蹴ったりの暴行を加えた。さらに、火傷の跡にライターのジッポオイルをかけ火をつけた。熱がって火を消そうとするのが面白いと何度も繰り返した。

    12月中旬、小便で布団が濡れたことを理由にBとCが殴った。果てしなく続く殴打によって順子の顔面が無惨に腫れあがり、凸凹のない別人の顔になった。

    「なんだお前、でけえ顔になったなあ」

    誰かが言うと、また笑い声がした。

    暴行がエスカレートするのにともない、順子に与えられる食べ物もおざなりになっていった。それは主にCの兄のG(当時17歳)の役目であったが、監禁当初は出前を取ることもあったのに、12月末には、1日に牛乳を1本、たまにパン1枚与える程度になっていった。トイレにも行かせず、飲料用紙コップに排尿させられるようになり、その尿を飲まされたりした。


    Cの両親は異常な気配に気づいていた。両親はそれ以上追及すると、開き直られるのを恐れて、2階の物音には耳を塞いでいた。

    順子はリンチによる足の火傷が化膿して動けなくなった。全身は衰弱し、悪臭もひどくなった。Aはその臭いが嫌だと言って、寄りつかなくなった。

    少年たちはそんな状態になった順子を見て、持て余すようになっていた。だが、解放すると警察に知らされる。いっそのこと、死んでくれればと願うようになる。

    順子がいないところで次のような会話が交わされている。

    「女は殺して埋めるのかな?」「殺すならミンチがいいですよ」「ドラム缶に入れて焼けばいい」「コンクリート詰めにして海に棄てればバレない」「自殺に見せかけて殺しますか? 富士の樹海で首吊りでもさせますか?」

    お笑い半分、冗談半分、面白半分、暇つぶし、といった感じであった。
    1989年(昭和64年)1月4日、監禁から41日目のこの日、午前6時半ころ、Aは徹夜マージャンで10万円ほど負けムシャクチャしていた。その腹いせとしてAは順子をその対象にした。

    B、C、Dの3人は順子の火傷の臭いを嫌ってDの自宅でファミコンをしていた。AはDの自宅に立ち寄り、3人を誘って、Cの自宅の2階に上がった。

    小泉今日子の『なんてったってアイドル』という歌のリズムに合わせて、順子は3人に次々と殴られて、鼻や口から血を流し、血だらけの状態になった。

    ロウソクに火がつけられ、順子の顔にそのロウを垂らし、顔はロウだらけになった。

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