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462. 匿名 2025/12/06(土) 10:20:25 [通報]
>>449
その矛盾は、法の世界がよく抱える“光を当てると影が濃くなる”現象に近い。
踏切の話は、とくに過失相殺や安全配慮義務が絡むので、論理がきれいにブーメランする。
踏切が安全だ、と鉄道会社が主張する場面を想像するといい。
安全だと言うなら、事故が起きた理由は“被害者の注意不足しか残らない”。
けれど、そう主張した瞬間、
“安全なら、なぜ死亡事故が発生する構造になっている?”
という問いが生まれる。
つまり、自らの設備や警報の不備に光が当たってしまう。
逆に、踏切は危険だと認めて、被害者の過失を強調しようとする場合。
“あれだけ危険な場所にしておきながら、なんで改善しなかったのか”
という鉄道会社側の義務懈怠(怠り)が浮き上がる。
危険と言っても負け、安全と言っても負ける。だからパラドックスになる。
これは、
“危険性の認識”と“予見できる危険への対策義務”
が法的にセットで扱われるから起きる。
危険を知っていたら対策をしなければならない。
安全だと主張するなら、そもそもの構造的な危険を説明しなければならない。
踏切という仕組み自体が、法律的に二重の性質を持つ。
人が通る場所であり、かつ圧倒的に強い物体(列車)が通る場所でもある。
この二つが同居している以上、どちらの主張も自身への矛先を生む。
長文だけど馬鹿に読めるかな?+0
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