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525. 匿名 2025/10/25(土) 13:46:34 [通報]
>>469
あなたが軍人になりたいのは立派だが、自分は行かないのに戦争準備をするのは、日本国民を地獄に送りつけるのと同じだ。どうして日本国民を地獄に落としたいんだ?
頼むから日本を大事に思ってくれ。
日本国民を大事にしてくれ。
フィリピンのルソン島に米軍が上陸を開始した。迎え撃った陸軍大将の山下奉文率いる第十四方面軍のなかに、後にダイエーを創業する中内㓛もいた。
中内も理不尽なしごきにあった。
「毎晩、ビンタで兵隊を鍛えるというんですね。目から火が出るほど殴られて、『ありがとうございます』と言う。
教えてもらったことについては、ありがとうございますと言って、殴られたことに礼を言うわけです。そういう軍隊の表裏の陰惨なことがありますね」
軍事訓練と鉄拳制裁の日々を過ごしていた1944年7月、フィリピンへと転戦となる。第十四方面軍隷下の混成五十八旅団の所属となり、ルソン島リンガエン湾の守備に就いた。
1945年1月23日未明に玉砕命令が下されるが、その直後ゲリラ戦の命令が下される。
玉砕は免れたが、まだ死線は越えていなかった。手榴弾の攻撃を受け、二の腕、大腿部に重傷を負う。
出血のため急に力が抜け、崖の下まで滑り落ちていたが、幸い衛生兵が気づき、止血してもらうことができた。野戦病院に行けと言われ向かったが、病院は跡形もない。野戦病院を追いかける負傷者たちが集まっていた。顎のない兵隊もいた。
「人間はよく生きているなと思いましたね」
「気力も絶望もないですね。単に、生きておる、というだけですね」
前の日に魚や酒の話をして、「内地に帰ったら遊びに来いや」と言っていた傷病兵が翌朝には亡くなっている。遺体を埋める気力もなく、本隊を追いかけた。
「ひどいところでは、3メートルに1人ずつぐらい餓死状態のところがありました。だから弾に当たって死ぬよりも、餓死のほうが多かったんじゃないですか。栄養失調と餓死、それからマラリア、デング熱です」。
「食糧はないのに自分はウジ虫に全身を食い尽くされそうだ。腐った肉を自分で切り取り一命は取りとめた」
「アブラ虫、みみず、山ヒル……。食べられそうなものは何でも食う。靴の革に雨水を含ませ、かみしめたこともあった」
「人間の限界を問う飢餓」
昼下がりになると、どのみち死ぬのなら、早く死んだ方が楽だという考えになった者が手榴弾で自決をする「ドーン、ドーン」という音が聞こえた。
降伏すれば治療を受けられ、食糧も豊富にあると書かれてもあった。だが当時の価値観では、捕虜になることはできなかった。
信じているのは、明日がある、ということだけですね。寝て、目が覚めたら明日があるということだけで、そこから先のことは全然考えません。人間も極限まで行くと、思考は停止してしまいますね。いま今日があって、寝て目が覚めたら明日があって、横で話していた兵隊が冷たくなっておる、ということです。誰が生き延びていくか。生き抜き競争みたいなものですね。
間もなく終戦となり、武装解除を受けた。
「地獄の釜の蓋が取れたような感じ」がして、停止していた思考が動き出した。
「ここまで生き延びてきたんだから、なんとか生き延びていこうという意欲だけですね。ここで死んでなるものかという意欲です。ここまで生き延びて、ここから先、死んでたまるかということですね」+1
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