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524. 匿名 2025/10/25(土) 13:35:42 [通報]
>>469
茶道裏千家前家元 大宗匠の千玄室
誰もが納得できない思いを持って戦場へと向かっていった。
「気持ちは高ぶっていたが、心の中では戦争というものを呪っていた」
1944年3月、配属されていた徳島海軍航空隊で、特攻隊が編成されると、志願した。
練の休憩中、仲間たちは千さんの点てるお茶を楽しんだ。ある日、千さんが点てたお茶を隊員の1人が飲んで「生きて帰ってきたら、お前んとこの茶室で茶を飲ませてくれよ」と言った。
「その瞬間、突き落とされたようになった。ああ、もう生きて帰れやへんのやと」。
すると、戦後、俳優として活躍する西村晃がすっと立って、自分の故郷の方を見て「お母さーん」と叫んだ。他の隊員たちも同じように叫んだ。
「みんなお母さんが恋人やった。もういっぺん、お母さんに抱いてもらいたい、頭をなでてもらいたい。あの頃を思い出すのは、もう嫌だ」
「今そこで元気で話していたのが、出ていって亡くなる。運命は紙一重だとしみじみ思いました」
戦場へと向かわせられた時期は終戦まであとわずか1年と8ヵ月であった。しかし、それは太平洋戦争のもっとも過酷な時期と重なり、悲劇性を演出することになってしまったのが彼らの死であった。
大本営はサイパン陥落で敗戦をわかっていたのに特攻を強いた。+1
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