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275. 匿名 2025/06/15(日) 06:21:43 [通報]
>>13
ここを読めばわかるよ
今の60代に野球ファンが多いのは長嶋のおかげ
第二次監督時代(1993-2001年)も好きなアスリート調査で松井やイチローを押しのけて、ほとんどの年で1位だった
成績だけでいえば王貞治の方が上だけど、長嶋は日本人だしスター性もあった
王に劣るというだけで、歴代でもWAR(選手の勝利貢献度指標)の通算で王と野村に次いで3位
補足すると皇室観戦試合、オールスターゲーム、日本シリーズみたいな注目度が高い試合でも異常に強かったし、王が勝負を避けられて長嶋が試合を決めるという場面も多かった
ルーキーイヤーの1958(昭和33)年から国鉄の金田正一に4打席連続三振デビューや一塁ベース踏み忘れでホームラン取り消しのチョンボも、いきなり29本塁打、92打点で二冠獲得。何をしても絵になる燃える男は、天覧試合でサヨナラアーチを放った2年目から3年連続の首位打者。
なお、ゴールデンボーイの出現で巨人の観客動員数は右肩上がりで上昇。入団前年の57年は約138万人(1試合平均2万1000人)だったのが、V9後期には約276万人(4万2000人)と倍増した。昭和30年代から40年代にかけて、高度経済成長期に爆発的に普及したテレビの中で躍動した国民的スーパースターは、まさしくプロ野球の象徴だった。なのに近寄りがたさではなく、圧倒的な親しみやすさがある。立教大時代のミスターが隣席の人が持っている本に驚き、「凄い便利だね! その本、日本語訳が出てるんだ!」と絶賛したら、普通の英和辞典だった……的な逸話は数多い。みんな、そんな明るく元気な長嶋が大好きだった。
《追悼》「我が巨人軍は永久に不滅です!」「ナガシマァ~」涙の引退試合…日本人にとって38歳長嶋茂雄の現役引退はどれほど衝撃だった?(3/3) - プロ野球 - Number Web - ナンバーnumber.bunshun.jp元巨人・長嶋茂雄さんが6月3日、肺炎のため東京都内の病院で亡くなった。89歳だった。「ミスタープロ野球」としてファンに愛された国民的スーパースター。本記事では長嶋茂雄さんの「現役引退までの1年」を再編集して公開する
元プロレスラーの高田延彦はオール横浜に選抜されるほど熱心な野球少年だったが、背番号3の引退でぽっかりと心に穴が空き、これ以降テレビの野球中継を見なくなってしまった。ザ・クロマニヨンズのギタリスト真島昌利は、「僕の中では長嶋選手は熱狂であり、興奮であり、感動だった。もう長嶋茂雄って人が僕にとってはプロ野球だった」と、澄んだ目で語っていた。高田も真島も同じ1962年生まれだ。彼らに物心がついたとき、巨人はV9真っ只中だった。少年たちにとって、「4番サード長嶋」こそ世界の真ん中だったのだ。
この日(引退試合の日)、ベテラン記者や解説席の元ライバル村山実は人目もはばからず泣いた。みんな自分のことのように泣いていた。なぜなら、それはひとりの選手のキャリアの終わりではなく、自分が熱狂した日々、己が生きたひとつの時代が終わるということを意味していたからだ。日本中で何千万人という人間がテレビの前で、打てば「やったぞ」と喜び、三振すれば「ちきしょう」なんて悔しさを共有した。それぞれのミスタープロ野球と過ごした日々。
日本テレビの赤木孝男アナウンサーは噛みしめるようにこう実況した。「長嶋の存在は、多くの人々にとっては青春そのものであり、また希望でもありました。人々はその時々の長嶋に己を映してきました。今日はその決別のときでもあります」
74年10月14日、長嶋茂雄の引退試合は、まさしく“国民的行事”だった。そういう規模の引退試合はそれまでなかったし、それ以降もない。+12
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元巨人・長嶋茂雄さんが6月3日、肺炎のため東京都内の病院で亡くなった。89歳だった。「ミスタープロ野球」としてファンに愛された国民的スーパースター。本記事では長嶋茂雄さんの“現役引退”までの1年を再編集して公開する。