-
863. 匿名 2025/05/06(火) 08:28:07
※サイトより、引用しました
戦前は、国民の三大義務として、納税と教育と兵役の義務があった。
明治六年徴兵令が発布されてから、二十歳に達した男子は総て徴兵検査を行い、兵役に適する強健な青年を甲種、乙種、丙種など等級を設け、常備兵力の強化体制を作っていたのである。
こんなことから、昭和初期頃までは、甲種合格となったことを祝福する祝酒や祝い旗が、親戚や近隣の有志から贈られ、門前や屋根の上にのぼりを掲げ、『名誉の家』と褒め讃える風習があった。
この兵役記録を管理する兵籍簿は、終戦直後に国策で行われた戦争記録の一斉処分によって焼却処分されており、その記録を知ることは全くできない。
昭和十二年の蘆溝橋事件に端を発し日中戦争に突入し一挙に国が戦時体制と化し、役場でも軍隊に兵士を送る業務が始まった。これは何と言っても印象が強く、記憶にあるのは『赤紙』の召集令状と日の丸の小旗を振って戦場に送った駅頭の風景だ。
+11
-1
-
876. 匿名 2025/05/06(火) 08:37:01
>>863
ヨーロッパでの第二次世界大戦 日中戦争 東南アジア侵攻 真珠湾攻撃からのアメリカと対戦 太平洋戦争へと・・
+4
-0
削除すべき不適切なコメントとして通報しますか?
いいえ
通報する