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89. 匿名 2024/11/08(金) 18:11:26
>>79
父親のルイ・フェルディナンが反対と言うよりも、母親が反対してた
母親のマリー=ジョゼフは、ハプスブルク家と微妙な関係にあるザクセン選帝侯の娘だから
息子との婚姻は大反対してたんだよ……家柄的に、プロイセン寄りだったからと言われてる。
真面目で敬虔な夫のフェルディナンが亡くなり、妻のマリー・ジョセフ・ド・サクスも
その2年後に亡くなり、その時、後のルイ16世はまだ13歳。
ルイ15世は、愛息もその妻も亡くなり、より同盟強化の為、2カ国の婚姻同盟を双方が望めど
永年のライバルであった大国同士、どちらも、一方が一方に懇願する形は何としても避けたく
しかし、オーストリア女帝の揺さぶりが功を奏して1769年に、ようやくルイ15世から
「皇女を王太子の妃にいただきたい」と、正式な縁談申し込みの書簡が女帝へ……
これまでヨーロッパを、何度も戦火に巻き込んできたハプスブルク家とブルボン家が
この婚姻により、ついに手を結んだ瞬間ではあったけど、当時、フランスだけで無くオーストリアも
両国経済は既に破綻状態なのに、互いのメンツもあり莫大な費用を掛けて婚姻した。
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96. 匿名 2024/11/08(金) 22:05:10
>>89
なるほど、マリー・ジョゼフ実家との関係ですか
ありがとうございます
前にいわゆる外交革命はプロイセンのフリードリヒ大王がポンパドゥール夫人の悪口言ってたのことがそれに気分を害した夫人がハプスブルグ家に近づいた理由のひとつと聞いたことがあって(嘘か本当かは知らないけどw)フリードリヒ大王が悪口言わなかったらルイ16世とマリー・アントワネットの結婚もなくヨーロッパの歴史は違う形で進んでたのかもななどと思ったことがあったので+0
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