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1. 匿名 2024/09/22(日) 19:57:11
まひろは懐妊した中宮・彰子から、一条天皇に対する胸の内を明かされる。さらに道長からも新たな相談を受け…。
実況しましょう!+62
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4. 匿名 2024/09/22(日) 19:58:03
>>1
はっ日曜日の夜8時
でも明日は休みだ嬉しいな☺️+77
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63. 匿名 2024/09/22(日) 20:04:11
>>1
もう今年も9月下旬だから来年の大河のことを考えてしまうけど
蔦屋重三郎が主人公って上手くいくのかな
視聴者でまず蔦屋重三郎を知っている人がどれだけいるのか……+83
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69. 匿名 2024/09/22(日) 20:05:06
>>1
御嶽詣での御利益でございますね
めでたい めでたい+24
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667. 匿名 2024/09/22(日) 20:29:22
>>1
もうちょっと静かにして欲しいよね
あんなの聞いたり、騒いで貰うの全然嬉しいく無いわ
寧ろ人が多くて、感染症の心配増えるわ+20
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1549. 匿名 2024/09/22(日) 20:58:14
>>1
伊周と清少納言のシーンは栄枯盛衰とか諸行無常とか深いものを感じて涙が出た
定子さまを中心に集まり栄え、素晴らしかったあの日々共有する同志という感じがしました
道長の一強の閉鎖的な時代になってしまい、華やかだったあの頃を共有できる伊周と清少納言はお互いに貴重な存在だろう
清少納言は定子の産んだ内親王のために今も尽くしてくれているし+39
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1605. 匿名 2024/09/22(日) 21:03:43
>>1
公任くんイケメンなのに、式部に冷たく返されてしまったわね!本当にあったエピソードなんだ。+50
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1642. 匿名 2024/09/22(日) 21:08:34
>>1
まひろってメンタル強い
本妻の前であんな堂々してられない+37
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1675. 匿名 2024/09/22(日) 21:14:34
>>1
ウイカの場面だけ、八つ墓村の雰囲気w+49
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1703. 匿名 2024/09/22(日) 21:20:06
>>1
この宴では調子に乗った道長が「こんな夫を持って幸せでだろ?」と倫子に言って怒らせる
倫子のご機嫌を直すために慌てて中宮がいる几帳横切る無礼を働いてまで倫子を追いかけた道長という有名なエピソードがあるのに、まひろが公任と話したくらいで嫉妬して公然イチャつきか…
道長は親王誕生が嬉しすぎて赤ちゃんにおしっこかけられても喜んだり、衣服を下の者たちに脱いで下賜しまくって、実資とか他の人にも強要して後で愚痴られたりしてたんだよね+49
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1867. 匿名 2024/09/22(日) 22:07:22
>>1
クセありの嫁、明子のお兄さん、まあまあイケオジでタイプなのよね♡+84
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1906. 匿名 2024/09/22(日) 22:24:14
>>1
子麻呂がワンカット分だけ出てきたね。
+50
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2901. 匿名 2024/09/23(月) 15:38:04
>>1
式部と道長が詠み合った和歌の内容がお分かりでしたら教えて下さい。+3
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3027. 匿名 2024/09/23(月) 19:11:25
>>1
>>967
>>823
>>2838
>>1549
>>2867
>>626
伊周の復位は道長の奏上によるもの、ドラマでは一条天皇の独断でやったとされていましたが
あらゆる可能性を想定して保険をかけまくるのが道長という男
彰子が皇子を生まなかったら敦康を東宮に推すしかなく、万が一に備えて伊周を「飼い慣らしておく」必要があった
中関白家と御堂家が手を取り合えばそれが敦康の為に一番良いに決まってるけど、そう上手くはいかないことも一条は知ってるから、道長の顔を立てつつ、彰子との子作りを出来る限り先延ばしにした
伊周もじっと堪えて健気に漢詩を読んだり、脩子内親王の裳着の儀も日陰に回ったり、道長に花を持たせた
こうして一条、伊周、道長の奇妙な仲良しごっこがチマチマ続くわけだけど、敦良親王が誕生した途端、道長の態度が180度豹変する
呪詛の疑いをかけて伊周を始末し、一条もこれまた絶妙なタイミングで崩御する
道長が先に死んだら、せめて一条があと5、6年長生きしたら、一発逆転のチャンスは十分にあったし、一条も秘かにそれを狙ってたんじゃないかと思うけど+24
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3057. 匿名 2024/09/23(月) 20:17:28
>>1
『光る君へ』にはいくつか「道長と紫式部の史実にとって重要な存在であるが作劇上の都合からあえてあえて描かれていない存在」があって(「紫式部の姉」や「超子(兼家長女)」など)、そのひとつに「後宮のサロン的価値と意義」がある。
定子さまは清少納言ひとりの才能を見込んで取り立てたわけではなく、後宮女房文化の旗手として「組織」を作り上げたはずであり、『枕草子』はそうした背景と土壌で生まれたと考えたほうが自然だし(そこには道隆-貴子の素養も色濃く反映されたはず)、だからこそ一条帝は定子さまに憧れ、定子さまの影を追って御匣殿(定子妹)に恋慕したのだとも思う。
さらにいえば、道長と彰子さまは(個人の才能に拠ったわけではなく)「先例」があればこそ、仕組みとしての後宮サロン、組織としての文化集団であれば進化・発展が可能だと考えて、より大規模かつ豪奢な(結果的に日本文学史上最高峰の)文学サロンを構築できたのだろうとも思う(そしてそうした土壌と組織による切磋琢磨と試行錯誤のうえで『源氏物語』も生まれた。のだと思う。たぶん)。
もちろん、清少納言や紫式部は比類なき文学的天才であっただろうし、あの時代のあの場所で日本文学史上「双璧」といえる作品がほぼ同時期に生まれたのは奇跡というほかない。『光る君へ』では個人個人のキャラクターや才能にスポットを当てたいために、組織的性格は省かれたのだと考えています。
それでも、偉大な作品が次々に生まれた背景や土壌には(摂関政治という制度の上に貴子と定子が打ち立てた)「システム」や「組織」があったのだろうということは、覚えておきたい。+18
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