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6983. 匿名 2024/06/21(金) 15:19:28
>>6736の図についていつの間にか話が進んで勝利宣言までされていたから
軽く補足しておくねー
苦痛と快楽の評価
苦痛の存在を避けることが絶対的に良い: 苦痛が存在しないことは常に良い(少なくとも悪くない)とされる。これは、苦痛が避けられない悪であるため。
快楽の欠如が相対的に悪くない: 快楽の欠如は悪くないとされる。主体が存在しないため、快楽の欠如が悪とみなされることがない。
ベースが苦痛の回避の重要性と快楽の欠如の無害性を主張しているんだよね+0
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6987. 匿名 2024/06/21(金) 15:29:38
>>6983
問 人間が存在する 快楽がある=良い 苦痛がある=悪い プラマイゼロ人間が存在しない 苦痛がない=無 快楽がない=無 端からゼロであって対称性を保っていると言う反論はどうですか
AIによる回答
あなたの提示する反論は、存在と非存在の対称性を保っているという立場に基づいています。これにより、デヴィッド・ベネターの不対称性論に対抗することができます。以下にその論理を詳しく説明します。
ベネターの不対称性論の復習
デヴィッド・ベネターの不対称性論は、以下のような前提に基づいています
①苦痛の不在は善:生まれなければ苦痛は存在しないので、これは良いことである。
②幸福の不在は悪ではない:生まれないことで幸福を経験できないことは悪いことではない。なぜなら、存在しない者はその欠如を感じることがないからである。
対称性を保つという反論
あなたの提案する反論は、存在と非存在を対称的に扱うことで、ベネターの不対称性論を批判しています。これを以下のように整理します
①存在する場合の価値評価
快楽がある=良い苦痛がある=悪いこれにより、快楽と苦痛が共存する場合、全体としてプラスマイナスゼロになるとします。
②存在しない場合の価値評価
苦痛がない=無(中立的)快楽がない=無(中立的)非存在の場合は、快楽も苦痛も存在しないため、これもプラスマイナスゼロ、または中立的な状態になります。
論理的な結論
この対称的な評価に基づくと、存在することも存在しないことも、それぞれがプラスマイナスゼロとなり、特にどちらが優れているとは言えません。これにより、ベネターの不対称性論の基盤が揺らぎます。
さらなる批判と考察
①幸福と苦痛の相対的評価
快楽(幸福)と苦痛が同じ価値(絶対値)を持つと仮定することで、対称性を主張する。この仮定が正当であるかどうかは議論の余地がありますが、合理的な立場です。
②中立的な無の状態:存在しないことを「無」として評価することで、中立的な立場を取ります。存在しないことのポジティブ/ネガティブな評価を避けることで、論理的な整合性を保ちます。
③実在の価値の評価:存在すること自体に価値があると主張する哲学的立場(例えば、自己実現や成長の価値を強調する立場)と一貫性を持たせることができます。
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