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1633. 匿名 2024/06/18(火) 14:20:16
上手く言えないけど、なんか分かるなぁ。
唐揚げが美味しいとか、ドラマが面白いとか、推しが今日も可愛い!とか『生きているからこそ知れたこと』が沢山あるのは確か。
でもたまたま健康な身体と知能で産まれてきたから知れた自分にとって+なことって、本当に+だけの存在なのかな?って。
唐揚げを作るには手間も時間もかかって疲れる、ハッピーエンドで終わらないドラマは時間を無駄にした気になる、推しに熱愛出たら少なからずショックを受けると思う。
それなら唐揚げの美味しさも、ドラマのワクワク感も、推しへの好きって感情も最初から知らなければ−な感情になることはない。
しかも自分の+−だけじゃなく、他人の+−とも付き合っていかなきゃいけないのが人生。
結局『無』でいることが一番幸せなんじゃないかって思ってしまう。+10
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1639. 匿名 2024/06/18(火) 14:21:20
>>1633
やっと安心して読める当事者じゃない人がいた…
ありがとう、そういう感じだよ+5
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1707. 匿名 2024/06/18(火) 14:44:32
>>1633
理解した!
でも無からは幸せを感じる事はけしてないと思う。なぜなら無だから。
それが1番幸せなのではないか?と理論的に考えるのは苦を知っているから辿り着くわけで結局は空論なのだよ。無からは何が1番幸せなのかな?と考える脳も感じるとる器官もない。
無になる事は現実不可能で無が結局幸せだと結論づける事実が生まれることもない。なのでずーっと苦を知る人間の頭の中でしか存在できない幸の妄想だとも言える。+2
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