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7471. 匿名 2024/04/25(木) 20:29:05
>>6939 『おいしいコーヒーが飲みたくて』⑨
⚠️伊黒さんとウィーン🇦🇹で出会う話 ⚠️季節は3月のつもり ⚠️趣味に全振り
ハルシュタットからの帰りは順調で、今度は列車が遅延することもなくウィーンに帰ってこれた。
早朝に出発したのにウィーン中央駅に戻ってきた頃にはこの間ほどではないがまた夜遅くだった。伊黒くんがホテルまで送ろうかと提案してくれたけど、まだ地下鉄も動いている時間だったし今日も朝から付き合わせてしまって申し訳なかったのでウィーン中央駅でお別れをした。楽しい思い出をありがとう、これが最後かな、なんて思いながら私は手を振った。
翌朝、ついに帰国日。昨日の日帰り弾丸ツアーで少し体が重い。夕方のフライトまでカフェでも寄ってのんびりしよう。さて、どこに行こうか。ガイドブックに載ってるお店の中に、行きたいとピックアップしているカフェがまだまだあるからその中から選ぼうかな。
そんなことを考えながら、まずは伊黒くんに昨日のお礼のメッセージを送ろうとスマホを手に取ると、それと同時に伊黒くんからメッセージが届いた。
『もし時間があったら、カフェツェントラルで待つ』
まだ朝の8時過ぎだった。けれど、ウィーンのカフェの朝は早い。ガイドブックを見てみるとツェントラルは行きたいと目星をつけているカフェの一つだった。営業時間は朝の8時からと書かれている。
『今から行く』
私はメッセージを送ると同時に、先ほどまでの疲れも忘れてホテルの部屋から飛び出した。
たった数日の滞在だけどこちらの地下鉄にもすっかり慣れて、改札を抜けて流れるように地下鉄に乗り込む。聞き馴染んだ駅名で地下鉄を降りて、私はツェントラルを目指して朝の冷たい空気の中を急いだ。営業時間を確認したときに店の位置も一緒に確認した。地図を見なくてももう道は分かっていた。
目的地に着いて、歴史を感じさせる店の扉を抜けるとそこにはまずガイドブックにも載っていた、椅子に腰掛ける男性の等身大人形が待っていた(オーストリアのかつての作家ペーター・アルテンベルクと言うらしい)。昔は芸術家たちがこのカフェに通い詰めていたとガイドブックに一緒に書かれていた。
店内の様子はアーチ型の高い天井と何本もの大理石の柱があり、その贅沢な空間の中に伊黒くんの姿を見つけた。
伏し目がちに何をしているのだろう。カフェで寛いでいる人々や大理石の柱の間を歩いて、ゆっくりと近付きながら伊黒くんの方を覗き見る。伊黒くんは緩く握った拳を額に当てて頭を支えて読書をしていた。この空間とこの店にぴったりだと思った。
「ごめん、お待たせ」
「いや、急に呼び出したのは俺の方だ。帰国日にすまない」
伊黒くんは私の声に顔を上げた。
「この店は初めてだったか?」
「うん、初めて。すごく素敵だね」
「パレ・フェルステル、つまりフェルステル宮殿の中にあるカフェだ」
宮殿内のカフェか…私は改めて店内を見渡した。宮殿と言えど豪華絢爛、華美とは少し違う。上品で優美な内装に、穏やかで優雅な時間が流れる。朝というのもあるのだろう、時間の流れが特にゆっくりとしているように感じた。
「伊黒くんは大学は?」
「今日は午後だけだ」
伊黒くんはぱたんと読んでいた本を閉じた。
ツェントラルはモーニングメニューも充実しており、伊黒くんはメランジェとセンメル(オーストリアで一般的なパン)をオーダーしていた。私もモーニングにしようかと悩んだが、結局、もうこの旅で何度目か分からないメランジェとシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ(黒い森のサクランボケーキ)を頼んだ。黒い丸型のチョコレートケーキの上に、赤いサクランボがちょこんと乗っているケーキだ。ザッハートルテと比べると甘さは控えめのそのケーキを一口、一口と食べ進めて残りのケーキが少なくなるにつれ、私のこの旅もとうとう終わるんだなあと実感が湧いてきた。
続く+29
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7474. 匿名 2024/04/25(木) 20:31:11
>>7471 『おいしいコーヒーが飲みたくて』⑩最終話
⚠️伊黒さんとウィーン🇦🇹で出会う話 ⚠️季節は3月のつもり ⚠️趣味に全振り
「ねえ、この数日間一緒にいてくれてありがとうね。ザルツブルクは一人で行ったはずなのに伊黒くんといっぱい話して一緒に観光したみたいな気持ちになって。昨日のハルシュタットも連れて行ってくれてありがとう。私ずっと楽しかった」
ケーキの最後の一口を食べ終えて、いよいよこの旅も終わる。旅の終わりに伊黒くんに直接きちんとお礼が言えて良かった。
「ハルシュタットに連れて行ってくれたのは君の方だろう」
伊黒くんが可笑しそうに小さく笑う。
「君がハルシュタットに行くと言わなかったらきっと俺は行くことはなかった。楽しかったのは俺の方もだ。久しぶりにこんなに誰かと過ごして誰かと話した」
優しい瞳に見つめられそんなことを言われると、好きとか恋とか勘違いしてしまいそう。そうだ、勘違いだ。伊黒くんは異国で一人留学中で、言葉や生活にきっと不自由もある中で同じ日本人に出会って少し安心した。その日本人が困っているようなので助けてくれた、それだけのことだ。私は単になんでも話せる話し相手だっただけなのだ。それじゃあ私は話し相手に徹すれば良い。
「私で良ければ夜とか長電話できるよ。社会人って時間なさそうに見えて、予定のない一人暮らしの社会人は平日の夜とか時間持て余してるの」
「時差あるの分かってるか?」
「確かに。じゃあ土日だ」
私の安直な提案に、伊黒くんは言った。
「じゃあ、君の週末を俺にくれるか?」
その一言に、私は今日も胸をドキンとさせられる。彼の射るような瞳から逃げるように目を逸らしてテーブルの上の飲みかけのメランジェに視線を落とした。
(伊黒くん、やたらドキッとする言い回しするよね。まあ誰かに聞かれたところで日本語の分かる人はいないけど)
「じゃあほら、日本食とか恋しかったら送るよ。社会人はお金の使い方も自由だから」
「それには及ばない。俺も4月には帰国するからな」
ドキドキする胸を落ち着けようとしてるのに、そこに衝撃の発言をされる。
「えええ?じゃあ時差なんてなくない??」
目を丸くして伊黒くんを見ると、伊黒くんは確かに、と口元に手を当ててふふっと笑う。
「じゃあ、美味しいコーヒー屋さん教えてあげる。鬼滅公園分かるでしょ?その近くにあるの。今度は私が案内する」
「ああ、コーヒーも君との週末の時間もどちらも楽しみにしている」
伊黒くんは頬杖をつき、手のひらで支えるその顔は楽しそうに笑っている。
伊黒くんに会うのは昨日が最後だ、今日これが最後だと会うその度に思っていたのに、今日もまた私たちは次の約束をしている。落ち着かせようとしていた胸の高鳴りはもはや抑えられそうにない。もうこれ以上、この真っ直ぐな瞳から目を逸らせない。
「ねえ、そう言えば思い出したドイツ語があるの。多分、合ってる」
伊黒くんの綺麗な瞳が私の次の言葉を待つ。私も真っ直ぐその瞳を見つめ返す。
そう、多分合ってる、きっと私の心も。
「多分、Ich liebe dich.(意味:私はあなたが好き)」
私の言葉に、伊黒くんが驚いたように、照れたように僅かに口元を歪ませる。そしてすぐにいつもの涼しい表情に戻ってその口を開いた。
「ああ、合ってるみたいだ。そしてその返事は、Ich dich auch.(意味:私もあなたが好き)」
隣のテーブルでコーヒーを飲むこちらの土地の好好爺に私たちの会話が聞こえていたようだ。彼は微笑を湛えてこちらに向けてぱちぱちぱちと手を叩き、私たち二人を祝福した。
おしまい
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