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3113. 匿名 2024/04/03(水) 14:42:43
>>2584
”お強くなられて”
本当にそう思います。
さまざまなことを乗り越えて真にお強くなられた、その転換点がいつだったか。
多くのガルさんがおっしゃっていることですが、高校入学の時のこのお写真が敬宮さまが真にお強くなられた「転換点」を象徴しているのではないかと。
出典:up.gc-img.net
映像で見るとよりわかりやすいですが、スキーのゴーグルの日焼け跡がくっきりして目元が逆パンダちゃんみたいになっています。
中等科を卒業して高等科入学式直前の春休み、敬宮さまはご両親、お友人と一緒に長野県の奥志賀高原にスキーにお出かけになりました。
その時の様子を取材した皇室特番によると、敬宮さまはご友人と一緒にホテルのオーナーの奥様にいたずらをしかけたり、「日焼けがかっこいいから」とあえて日焼け止めやフェイスマスクをしない状態で滑って、案の定、逆パンダちゃんになってスキーのコーチをあちゃ~とさせたり、本当に「一人の普通の女の子」として、元気にのびのびと過ごされたのだそうです。
43日間の欠席からわずか数か月後のことです。
敬宮さまを叩きたい人は「不登校」という言葉をよく持ち出しますね。
でもその言葉は適切ではありません。
小学2年生の時の数日の欠席の理由とその後、雅子さまが付き添い登校を続けた理由。
中学3年生の時に激ヤセしてしまわれて43日間、欠席された理由。
どなたかの息がかかっている週刊誌はもちろんそのものズバリの真実は書きませんが、読者をミスリードしようとして書かれた記事からも浮かび上がってくるものがあります。
先輩ガルさん達があらゆる媒体を比較検討して考察してくださっています。
小学生、中学生、どちらの「欠席」も優秀な敬宮さまを皇室から追い出したかった人々が仕掛けたもの。
自分がどれほど大きな悪意に取り囲まれているか、その全貌を理解したのが皇室からの離脱が可能な15歳という年齢だったのだと思います。
そしてその後、すべて理解した上で乗り越え、吹っ切った、それが入学式の時の晴れやかな笑顔なのではないかと。
今、多くの方が敬宮さまの明るい笑顔から朗らかさを感じると思います。
無邪気ささえ感じる朗らかさ。
本当に本当にすごいお方です。
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3191. 匿名 2024/04/03(水) 19:46:15
>>3113
自己レス
お腹の中にいる時からずっと「命の危険」にさらされ続けてきた。
そんなご自身のことを「自由にのびのびと育ったようで」と表現された。
その器の大きさ、はかりしれなさに畏敬の念を抱かずにはいられません。
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3669. 匿名 2024/04/07(日) 11:27:33
>>3113
私もこの頃だと思っています。
激痩せされた頃は、みんなと同じ誰もが通る思春期で、それこそ謂れのない酷いバッシングに晒されている大好きなご両親を間近で見ていて、相当お辛かっただろうと思います。
涙が出てくるくらい、想像するに余りあります。
酷いマスコミに対しても、冷酷な明仁爺美智子婆に対しても、頭悪い叔父家族に対しても、言いたいことも速報打ってやりたいことも、たくさんあったでしょう。
天皇陛下皇后雅子様を1番御守りしたかったのは、敬宮愛子様だったと思います。
それでも、静かに芯を守っておられるご両親をずっと見てこられて、高校生の頃にもう達観された。
今は、国民を信じてくださっている。
日本国民は何が真実か見極めてくれる、と信じてくださっている。
だからこそ、そのお気持ちに応えていきたい。
日本国民として、天皇陛下皇后雅子様敬宮愛子様を心よりお支えし、御守りしていきたい。
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出典:up.gc-img.net
