【国内】偉人のクズエピソード【海外】Part6
404コメント2023/05/29(月) 21:50
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183. 匿名 2023/05/26(金) 07:22:23
>>153
「一垢の砂」は生前にヒットしてたし、一応短歌の権威みたいな扱いではあったんじゃないっけ
ただ余りにも金遣いが荒すぎる
借金があるのにまとまった金が手に入ったらみんなで飲みに行って8割がた使うとか+17
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280. 匿名 2023/05/26(金) 16:31:44
>>153
>>183
生前は将来有望な歌人の一人という評価だったよ
亡くなる直前は薬代を支払うにも、苦労するぐらいに生活が困窮していた
正当に評価されるようになったのが死後
1920年(大正9年)に新潮社から初の『啄木全集』が刊行されて好調な売れ行きを示して
最初の啄木ブームが巻き起こり、2,800円という莫大な印税がもたらされた
この印税は亡き妻の父・堀合忠操に渡されて啄木の遺児二人(京子&房江)の養育費に充てられたほか、滞納となっていた蓋平館の下宿料(130円を100円に減額)返済にも使われた
1930年(昭和5年)12月25日撮影。啄木の次女・房江(享年18歳)の告別式の時の写真
この半月前には姉の京子(享年23歳)も亡くなっているため、忠操は長女だけではなくて長女の娘2人にも先立たれてしまうことになった
前に写っているのが啄木の孫(京子の子)の玲児(1929-98)と晴子(1927-91)
出典:upload.wikimedia.org
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