-
2541. 匿名 2022/10/31(月) 03:22:32
>>2538
どうも実朝は子供を持つ気が無かったかのような記述が吾妻鏡にあるのと、そしてどうやら上皇の息子辺りを新しい鎌倉殿として迎える気もあったようでもあり、だからこそ、高貴な鎌倉殿の「養父」という立場になるなら、それなりの高い官位が欲しいと思った、という解釈もあるようだね。
大江さんあたりが「都には位討ちと言って、どんどん高い官位を授けて相手を有頂天にさせて滅ぼすやり方があるから」と諫めても、実朝は聞かなかったとか。
父親の「大納言・右近衛大将」という位を超えてしまうし。+23
-0
-
2565. 匿名 2022/10/31(月) 05:23:59
>>2541
位討ちは京からのある意味呪詛な気もする。+13
-0
-
2825. 匿名 2022/10/31(月) 13:24:09
>>2541
「武」による力ではなく、「位」による権威で御家人達を抑え込もうと
思ったんだろうけど、まだ鎌倉はそこまで体制が整ってないから甘いよね
都育ちの頼朝は調停の「位討ち」遣り口は知っていたし、長い流人経験から
坂東武者達の気持ちも分かっていた
実朝は鎌倉で守られて育ちながら、周囲の潰し合いを見てウンザリしたんだと思う
後鳥羽の従妹で京育ちの千世の影響もあったのかもね+15
-1
-
2921. 匿名 2022/10/31(月) 15:24:39
>>2541
そうですよね。
後鳥羽上皇の実朝を取り込もうとする目論見を警戒した大江氏が、しばらく昇進を見合わせるべきではって進言するんだけど、「源氏の正当性は余で途切れる。ならば官職を高め、家名を上げておきたい」って答えたって言われてますよね。
源氏の家名って鎌倉幕府の権威って事だろうから、実朝は誰よりも鎌倉のことを考えていたのだと思う。
そして「公武合体プロジェクト」という当時で言えば超ウルトラCを自ら考え、政子は勿論だけど義時にすら納得させる。結局は暗殺されて、そのプロジェクトは変更されていくんだけどね。+15
-1
削除すべき不適切なコメントとして通報しますか?
いいえ
通報する