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2719. 匿名 2022/10/30(日) 00:38:38
『吾妻鑑』より。
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建暦三年(1213年)四月二十七日、鎌倉殿の使いとして宮内兵衛尉公氏(くないひょうえのじょうきんうじ)が和田邸に向かった。
義盛に謀反の噂があるという事で、問いただすために向かわせたのだった。
しばらくして、義盛が応接間にやってきた。その時、建物の間の橋が架かっていないところを飛び越える時、烏帽子が外れて公氏の前に転がった。
まるで罪人の首が刎ねられたようだったので、罪人として捕縛された際に処刑される事を予兆しているかのようだと、公氏は思った。
公氏は鎌倉殿が案じれおられる旨を義盛に語った。
義盛が答えて言うには、「私も右大将様(頼朝)の時代にはずいぶんと手柄を立ててきたつもりです。褒美も過分に頂戴しました。それなのに、二十年経ち、時代がすっかり変わってしまった事が残念なのです。こちらの願い事は上には届かず、願い事を取り下げた情けなさを嘆くばかりです(※上総介の職への任官がかなわなかった事か?)。 こちらには謀反の心など少しもありません」と。
横では、古郡左衛門尉保忠や朝比奈三郎義秀などの強豪の者が武具を用意していた。
公氏が鎌倉御所に戻り報告をしていると相模守(義時)がそれを聞き、鎌倉在留中の御家人を集めて言うには、
「どうやら和田殿が謀反を計画しているらしい。これは間違いなさそうだ。しかしまだ鎧の準備をするほどではない」と。
夜には、今度は刑部丞忠季(ぎょうぶのじょうただすえ)を鎌倉殿の使いとして義盛のもとへ派遣した。
忠季は、「ご様子をお聞きになり、鎌倉殿は大変驚いておいでです。今はとにかく大人しくして、鎌倉殿のお裁きをお待ちになるべきです」と伝えた。
義盛が答えて言うには、「鎌倉殿に対しては謀反の心など全くありません。ただ、あの小四郎のやり方があまりにも横暴なので、ここは一つ武装して詳しく問いただしに行こうと、若い連中がひそかに計画を進めていたのです。私としてもたびたび諫めはしましたが、彼らは聞く耳を持ちません。すでに彼らは決心しております。もう私では成すすべがありません」と。+4
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2721. 匿名 2022/10/30(日) 06:18:41
>>2719
和田殿は若い衆の暴走を止められない、もしくは止めるつもりがなかったのかな
和田殿はもう戦になるのは覚悟してたんだろう+4
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