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2617. 匿名 2022/10/26(水) 20:47:20
何というか、和田ちゃんも、息子たちがゆるされて、甥も流罪で済んだのだからそこで納得しておくべきだったのを、甥の赦免まで願い出たから、小四郎も「これは受け入れたら後々示しがつかない」と思ったんだろうね。
甥の屋敷は一旦和田ちゃんに引き渡された後で、小四郎がそれを取り上げて他の御家人に与えてしまったのも事実らしいから、やっぱり落としどころは大切だなと思う。
「むかしのよしみ」とか「オレとオマエの仲だろ?!」では政治は出来ないわけだから。
いや…賢くふるまっても、どっちみち、何か言いがかりをつけられて挑発されていたかな。+24
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2642. 匿名 2022/10/27(木) 18:51:49
>>2617
確かにそういう賢さがあってもどの道因縁つけられてたかもね…
もしかしたら賢い立ち回りが出来ない人だから今まで目をつけられずに生き残ってたとも言えるかも+7
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2674. 匿名 2022/10/28(金) 13:51:12
>>2617
うん、確かに和田義盛は「求めすぎたのでは?」って言われてますよね。ただし、吾妻鑑の記述では
義盛は3月8日に実朝と謁見して息子たちの処分を聞き、その日は異議を唱えることもなく退出していたようです。
ところが翌日の9日になると一族98人を引き連れて御所に押し掛けるという暴挙に出ているんですよね。まるで人がかわったように。
ちなみに吾妻鑑には義盛が実朝に述べた言葉も記されているようです。
「北条義時の言動があまりにも酷いゆえに、私のところの若い者達が、詳しい理由を問いただすために武装して向かおうと話し合っております。私が何度も諫めたのですが相手にされません」
要するに、和田一族の中で血気盛んな若手の行動を義盛は抑える事ができなかった、という記述です。
ただし「明月記」によると、義盛は、自分が「泉ちかひらの乱」の首謀者であるとの風説が流れ、義盛は実朝に弁明、許しを得たものの、御所での密議を耳にし、自分に対する嫌疑が晴れていないことを知り、挙兵を決意。とあります。+10
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