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3847. 匿名 2022/08/22(月) 10:47:57
こうやって、御家人である北条と比企がお互いが幕府内での権力を握るために貶めあって、後世に禍根を残して、結果的に時間をかけて幕府自体の力を削いでいるのを見ると、
御家人同士のバワーバランスを絶妙に保つために、それぞれの家の結婚については、トップ(征夷大将軍?)の許可が必要なのって大事な事だったんだな、と再認識しました。
鎌倉殿では、義時が比奈と結婚するとき頼朝に話を通している場面があったように思います。
正式な許可制に、この時代なっていたのかはちょっと分からないのですが…。
徳川幕府でも、家康の許可を得て、各武将の子孫が婚姻する場面出てきますよね。
政略結婚という言葉を良く耳にしますが、各家同士というよりも、幕府やトップにとっても必要な政略だったんだと今更ながら感じました。+13
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3891. 匿名 2022/08/22(月) 11:34:41
>>3847
諸説ありますが、大久保忠燐は許可なく無断で縁組みしちゃって徳川秀忠から改易された説あるよね
親戚も連座してたりする
家康も秀吉死後のときに許可なく縁組みした動きで石田三成あたりに非難されていなかったかな?
秀吉も無許可で大名との縁組みすることは禁止にしてた+5
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