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380. 匿名 2022/08/21(日) 20:13:26
頼家にとって政子ってそもそも道より大切な存在じゃないのかなー
乳母制度やっぱりやだな+117
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735. 匿名 2022/08/21(日) 20:21:32
>>380
織田信長も乳母の池田家の方が優遇されてたけど
母の実家が優遇された気配ないよね
出自も諸説にあったりしてあやふやで分からない
+37
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2740. 匿名 2022/08/21(日) 21:51:17
>>380
実の母として敬う気持ちはあったろうけど、みちさんに対するような気安い感じはなかったんだろうね+56
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2903. 匿名 2022/08/21(日) 22:15:56
>>380
現実的にその子の身の回りの世話をしたりいつも一緒にいるのは乳母なので、実母よりも乳母の方に懐いてしまうという例は少なくない。
権力者の夫人というのは色々と忙しく、子どもひとりひとりを気にかけている訳にもいかないので。
昭和天皇も実母の貞明皇后に会うのは週1回、行事と重なればそれも延期になることもあった。
それよりはいつもそばにいてくれた養育係の鈴木たかの方に懐いていた。+83
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2910. 匿名 2022/08/21(日) 22:16:56
>>380
春日局とかね+21
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3519. 匿名 2022/08/22(月) 01:08:10
>>380
元華族の女性が書いていたエッセイの中で読んだ話だけど。
その方の実母は、名流夫人としてご夫人方同士の交流、自分自身のお稽古ごと、家の行事ごとの家令や執事と打ち合わせ(最終決定は夫人なので)、慈善活動などでとても忙しく、ひと月以上母の顔を見ない時もあったらしい。
代わりに赤子の頃から世話してくれたお乳母さんが母親代わりですっかり信用し懐いていて、お乳母さんも献身的にお世話してくれたらしい。
ハイティーンの頃にお乳母さんの家庭の事情で退職することになった時は、生木を引き裂かれるように悲しく目がつぶれるほど泣いたと書いていた。
この頃のいいお家のお嬢さまのお嫁入り先にはお乳母さんも一緒に行くのが普通だったから。その方は後任の乳母を連れてお嫁に行ったそうですが。
後年実母が亡くなったが、そもそも思い出がほとんどないのでなんとも言えない感覚だった、最初の乳母が去ってしまった時の方がずっと悲しかった、と書いてあった。
華族の世界ってこんなふうなのかなあ?、と思った。
もちろん実親が実子を愛情深く育てた例もありますが。+53
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