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1708. 匿名 2015/07/20(月) 10:09:53
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殉愛のコンセプトは、さくらの物語だからかも?
百田は殉愛で、70℃のお湯の話やをはじめ、
常識的に疑問に感じることすら検証もしていません。
さくらが語ったこと、さくらの主張そのままにわざとしておいたとか…。
プロローグに「たかじんの物語」ではないと書かれています。
(殉愛P.29)
未亡人は二年間の闘病生活を淡々と語った。こういう話は聞くほうにとっては決して楽しいものではない。だから私も最初はそれほど身を入れては聞かなかったし、適当なところで切り上げて帰ろうと思っていた。
ところが、気が付けばあっという間に三時間が過ぎていた。話を聞き終えたとき、私は本を出したいという気持ちに駆られていた。それは「たかじんの物語」ではなく、彼の妻である「さくらの物語」だった。
またエピローグの一行目を視点を変えると、
信じられないような話を聞いたこと
は真実だと書いているのかも知れない。
(殉愛P.412)
読者にはにわかに信じられないかもしれないが、この物語はすべて真実である。
家鋪さくらの記憶力は異常ともいえるほどで、日をずらして質問しても、何度質問しても記憶がぶれることは一度もなかった。それは細部にわたり、そのときの人々の服装や立ち位置まで記憶していた。特にたかじんの言葉や行動に関しては、まるで今そこで見ていたかのように素振りや言葉遣いのニュアンスまで再現した。また膨大な看病日記が残っていて、それらの記憶の正しさを裏付けている。
日をずらして質問しても証言が変わらないといっても、
出会ってから出版までの期間は短いし、
たかじんの闘病から死い至るまでの比較する情報もない。
百田は「さくらの物語」からさくらに質問するので、
さくらにブレる心配がないと思うんです。
(殉愛P.30)
実は彼女の元には、たかじんとの闘病生活を妻の手記という形で出しませんかという出版依頼が三十以上も寄せられていた。彼女はそのすべてを断っていた。
さくらの手記を販売するより、
エピローグとプロローグで、読者へ疑問を投げかけると同時に、
百田にとってのノンフィクションをリアルミステリーとして、
読者に真相追究を煽っているようにも読めてしまうんです。
百田の意図がそうならば、命を削る思いで書いたことになります。
・・・という妄想でした。長々と失礼しました。+25
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