-
1559. 匿名 2015/07/18(土) 18:18:17
(殉愛)
二〇一四(平成二十六)年一月三日、やしきたかじんが亡くなった。
葬儀を済ませてから遺族が発表したため、報道されたのは同月七日である。二年前から食道ガンで闘病中であることは知っていたが、訃報を聞いたときは大いにショックを受けた。
やしきたかじんは、関西のテレビ界では知らぬ者はないほどの「視聴率王」だった。三十年近くにわたって、多くの高視聴率番組の司会者として大活躍してきた。大袈裟ではなく、大阪の放送局を支えてきた男だった。亡くなった時点で「たかじん」の名前を冠したレギュラー番組が三つもあったことからも、そのすごさがうかがえる。
長年、関西で放送作家として生きてきた私にとって「やしきたかじん」の名前は、ある意味でタモリやビートたけし以上のビッグネームだ。
だが、実は私はたかじんとの面識はほとんどない。同じ大阪のテレビ業界にいながら、なぜか縁がなかった。一九九八(平成十)年に一度だけ、「たかじんONE MAN」(毎日放送)という番組の構成スタッフに入ったことがあるが、ディレクターと意見が合わず、残念ながら1クール(13週)で番組から退いた。収録スタジオにはほとんど顔を出さなかったから、たかじんとじっくり会話を交わすことはなかった。
そんな私がなぜたかじんの本を書くことになったのか。それは不思議な導きとしか思えない出来事がいくつも重なったからだ。
・たかじんONE MAN(毎日放送)1998年4月8日―2007年9月18日
+26
-0
削除すべき不適切なコメントとして通報しますか?
いいえ
通報する