横浜中華街の聘珍樓、運営会社が破産手続き開始 本店は5月に閉店
250コメント2022/06/07(火) 17:27
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115. 匿名 2022/06/03(金) 00:24:05
>>26
最初は台湾華僑の街だった記憶
伊勢崎署とはじめは衝突しなから街を形成していった
中国が経済的に勢いを増してからのニューカマーがなだれ込んできてからは、台湾に沢山の人が帰っちゃつた、そんな感じだったような…
もう三十年前後昔、凝ったパターンの綿レースのだっだり、かわいい刺繍が施されたカーディガンとか、麻のチャイナ服なんて土産物屋の二階にひっそりうもれてあったのを掘り出してきて試着したら、
店番のおばあちゃんにメイクーニャンとかヨイショされてね、とにかくのんびりとした街だった
大晦日には、中華街を女の子だけで通り抜けようと歩いてると、にた年頃の小僧たちが爆竹を足もとに投げてきてさー、女の子からかってきたりね、平和だった
おばさんの昔語り長くなってすいません
睡眠薬が効いてきてよれよれです
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123. 匿名 2022/06/03(金) 00:36:12
>>115
河合夕子の歌の世界❤︎+12
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141. 匿名 2022/06/03(金) 01:34:39
>>115
伊勢崎(伊勢佐木署)じゃなくて加賀町警察じゃないかな?
あの警察は見張りのために作られたとは聞いている。
昭和の頃は確かにまだのんびりしていたね。
雑貨屋さんも日本人が経営している古着屋さんもあった。
香港や台湾のレコードを売っていたお店があった。
華僑vs大陸という構造が1980年代から生まれて、それから色々あったみたいね。
ただ、女性は夜、ひとりで歩いては駄目だし、中高生グループも夜は行っては駄目とは厳しく言われた。
たぶん今もそうだとは思うよ。
治安が悪いというよりも、同胞なら助けてくれるだろうけど日本人の場合は不確かだからね。+33
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