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1. 匿名 2022/04/29(金) 20:13:39
皆さんの両親や祖父母の子供時代のエピソードで印象に残っているものを教えてください。
主は母から聞いた板チョコの話が好きです。
「お母さんが子供の時はね、おやつの板チョコも
一枚をみんなで割って食べたのよ。
きょうだいが多かったからね。
一度だけお小遣いを貯めてこっそり板チョコを買いに行って
誰にも見つからないように押し入れに隠れて一人で
一枚食べたんだけど、全然美味しくなかった」
母は今でもおじおばと仲良しです。+143
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5. 匿名 2022/04/29(金) 20:15:43
>>1
美味しいものは一人で食べても美味しいですよね…+8
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6. 匿名 2022/04/29(金) 20:16:19
>>1
チョコレートの会社が泣いて喜びそうなエピソードだね。
私もジーンときた。
+97
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27. 匿名 2022/04/29(金) 20:24:57
>>1
武田鉄矢だったか、似たような話してたな。
大人になってから、メロン一個を買ってきて贅沢に一人で食べ始めたけど、一人で食べても美味しくなかったって。+47
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38. 匿名 2022/04/29(金) 20:27:58
>>1
やっぱり美味しいものはまた食べたいなと思わせる少量がいいのかな。人間って何でも満たされると普通になってしまいがち+39
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73. 匿名 2022/04/29(金) 20:42:52
>>1
うちのばーちゃんは戦争経験者。
ばーちゃんの実家近くは飛行場があったからか、小学校時代はB29がバンバン飛んでたんだって。
ある日、戦闘機が黒煙を噴き出しながらこちらに向かって来たらしく、全速力で走って逃げたんだってさ。
あぁもうダメかも…と思いながら用水路の斜面?に突っ伏したら、目の前の田んぼにすり鉢状の穴が空いてたって
子どもの頃一万回くらい聞いたわ。
終戦直前はカボチャの茎を食べて生き延びたって話や、末の弟さんはお茶碗に米一粒いれた重湯で育った話も同じくらい聞いたわw
あ、因みに今月87になった。来年ベージュだわ。+37
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95. 匿名 2022/04/29(金) 20:58:58
>>1
うちの父は、修学旅行で大阪万博行った時に全然有名でもない外国人旅行客からサインを貰ったらしい。
当時、日本の片田舎で外国人を生で見る事なんてなかったからそれだけで興奮したみたい。+17
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120. 匿名 2022/04/29(金) 21:46:32
>>1
じいちゃんが若い頃、幼なじみの女の子の事が好きだった
でもじいちゃんの家は貧乏で、女の子の親がきっと許してくれないだろうと想いを打ち明けることなく別の女性とお見合い結婚することに
婚約したあと、たまたま女の子のお父さんに会った時冗談なのか本気なのか
「結婚するんだってな、お前にならうちの娘やってもよかったんだけどなぁー」
なんて言われたものだから、じいちゃんその日のうちに婚約破棄して女の子の家に行って
「今日の昼間言ったことは本当ですよね?!」ってものすごい勢いで迫って無事幼なじみと結婚
じいちゃんとばあちゃんにそんな馴れ初めがあったなんてびっくりだった+53
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139. 匿名 2022/04/29(金) 22:28:18
>>1
生きてたら90歳をとっくに過ぎてる亡き祖父、戦争や病気で数ヶ月の間に両親と二歳だった妹を亡くして次男だった祖父は当時10歳。
長男と姉と協力して親代わりになって幼い弟や妹をお世話するどころか養ってきたという話を聞いた。
片道5キロを歩いて鉛筆を買いに行ったって。
電車代を使うくらいなら食べる物買わないとって10歳で考えないといけない厳しい生活をして、言葉通りみんなで肩を寄せ合って暮らして乗り越えたから、それぞれ遠方に住もうが年を取ってもきょうだいはみんな仲良しだったのは孫の私から見ても本当にほほえましかった。
年の離れた末弟が就職の為に地方に行くことになった時、祖父が切り詰めて貯めた一万円を持たせた話は80を過ぎても昨日のことのように話してたし、あの時の一万円を超える価値のあるお金はないと言ってたのを初めて聞いた時は涙が出た。
祖父のきょうだいで今も健在なのは末弟だけ。
姪である母やその娘である私のことを今でも大切にしてくれる。
私が子供を産んだ時も自分のことのように喜んでくれたし、カステラが毎年送られてくるたびに元気で長生きしてほしいと思わずにはいられないです。+33
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145. 匿名 2022/04/29(金) 22:44:05
>>1
食べ物は無駄にしない残さない、お腹が満たされると人は悪いことを考えないと祖父母はよく言ってました。
食べることに苦労した経験があるからこその言葉だろうし本当にその通りだなと思います。
祖父母は私の子(ひ孫)も本当に可愛がってくれて、最後まで諦めずに米粒を残さず食べたら優しく頭を撫でて「偉いね、偉いね」って褒めてくれました。
普段は落ち着きがなくて叱られてばかりの子供たちですが、ご飯の食べ方だけはキレイなのは祖父母の存在が大きかったと思ってます。
二人とも亡くなって何年も経ちますが、子供たちは幼かったのにハッキリ記憶があるようで「大ジジ、大ババは優しくて大好きだった」と言ってます。
+17
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183. 匿名 2022/04/30(土) 09:16:09
>>1
「お父さんは昔は泣き虫だったんだ。○番目の兄貴に虐められるといつも母ちゃん(祖母)の後ろに隠れてたんだ。」
7人兄弟姉の末っ子の父が話してたのを思い出した。
あと父より12歳年上の伯父が
「戦後は食べ物がなくて母ちゃん(祖母)の母乳が出なくて米の磨ぎ汁を哺乳瓶に入れて○○(父)に飲ませてて…
オンチャン(伯父、東北の方言)が○○(父)さいつも背中におぶってだけど…○○(父)がいつも泣いてオンチャン困ってたよ。」
父をいつも可愛がってた伯父が話してくれたのも思い出した。
で、数年前80代の伯父が神奈川住みのうちに遊びに来た時に父が張り切って伯父をアチコチつれ回して疲れさせた話を嬉しそうに笑いながら伯父がしてたのも思い出した。+8
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195. 匿名 2022/04/30(土) 13:34:04
>>1
私が幼かった頃、母はよく「あんたの祖母ちゃんは・・」と祖母のことで気に入らないことを、私のせいにして、咎めていた。私は祖母が大好きだったから、母にそう言われるとなんと言っていいか分からずに、泣きそうになって下を向くのが常であった。嫁姑のいさかいを、幼い実の娘にこういう仕打ちをする母親。+4
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