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1867. 匿名 2021/09/05(日) 00:37:59
慶喜の回想(現代語訳)。
明治40年7月23日、日本橋兜町の栄一の事務所にて語る。
大坂から江戸に帰って恭順した時の事。
「勝海舟はフカシが多いから気を付けろよ」との事。
「私は開陽丸に乗って江戸に帰る時、船中でこの上はひたすら恭順に徹すると板倉(勝静=老中・備中松山藩主)以下に申し聞かせた。もちろんこの決心は大坂を出る前には決めてあった事だが、当時は誰にも打ち明けてはいなかった。そして江戸に戻ってから、勝安房守(海舟。幕府軍事取扱)が私に勧めるには、「上様がもしあくまで戦うとおっしゃるならば、まずは軍艦を清水港に集めて東下してくる敵兵を撃破し、そしてもう一方で桜島を襲撃して敵の本拠を衝くのが宜しいかと存じます」と言ったのだが、私は「すでに恭順に徹すると決めたのだ」と耳を傾けなかったので、勝も「ならばその方向で尽力致します」と、ついに西郷吉之助と会見して江戸討ち入りを食い止めたのだ。勝のこの時の態度は、世間に伝わっている事とはかなり違っている。総じて勝の談話として世間に伝わっているものは、多少の誇張が混じっている。」+6
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