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1808. 匿名 2021/08/30(月) 21:58:07
うたの回想(現代語訳)
「(上略)この騒動のさなかの六月頃だったでしょうか、フランスの父からお祖父様宛てに手紙が参りました。要約すると、「幕府の滅亡はもともと予想していたので今更驚く事でもありませんが、私がお仕えしている若君が急いでご帰国されないかも知れません。何の得があるのかは分かりませんが。あと三、四年はご滞在になり、お勉強して頂きたいと思っております。こちらでの資金も今しばらくはもちそうですが、お国の騒ぎが収まって徳川のお家の成り行きが決まって、御学資が送られてくるのがいつになるのかは分かりません。うちは豊かというほどでもなく、しかも私は家業を捨てて家を出た身ですので、今更お金の事でとかくお願い出来る筋合いではありませんが、私自身の事ではなく、若君に外国でお勉強して頂くのは若君ご自身のためだけでもなく、お国のためだと思うのでございます。今後資金が不足する事も無いとも限りませんので、どうか若干のお金をお送り下さいませ」と丁重に無心なさったのでした。お祖父様がそれを読んでおっしゃるには、「栄一はもううちにはいねえけどこの家のあるじだ。家のあるじが家の金をどう使おうが勝手だい。ましてや世の中が大きく変わっちまったんだしな。しがねえ百姓の貯えで高貴なお方のお役に立てるなら本望ってもんだで。家でも田畑でも売って、ありったけの金を送ってやろうじゃねえか」と、すぐにお返事をお書きになりました。この前の年の十二月に、塗籠(ぬりごめ=納戸)が火事で焼け、そこにしまってあった上等な着物がみな燃えてしまったので、この少し前にお祖父様が言われたには、「この春には色々と厄介事もあったんに、お千代もおていもよく働いて蚕をよく育ててくれたから、いつもより余計に繭も取れたで。それの礼ってわけじゃねえけど、いい着物の一つぐらいは持たせてやりてえと思ってる。二人には帯一本ずつ買ってやるからよ」と、絹商人のもとから程よい帯を取り寄せてありましたが、まだ代金は払っていませんでした。しかし、今回の父からの手紙の事をおてい叔母様が聞き、母におっしゃるには、「こんな事もあるかと思ってたんだ。私は新しい帯なんかいらねえよ。その分兄様のもとに送ってやればいいんだに」と。母は、「おていちゃん若いのによく気が付いたね。私もそう思ってたんだい」とおっしゃり、二人でお祖父様にお話しになりました。お祖父様は、「おめえたちの帯代なんて大した事はねえけど、その志はちゃんと栄一に届けねえとな」と、帯を絹商人に返品されたのでした。その後、程なくして父から手紙が参り、「民部大輔様は今回水戸家をお継ぎになる事になり、この冬には私もご一緒に帰国する事になりました。ですので、先日お騒がせ致しましたお金の事も、どうかお忘れ下さい」との事でした。思いのほか早く帰国する事は不本意であるとも書いておられましたが、郷里の人々は思いがけず嬉しい事だと、大喜びでした。父がお帰りになる日を指折り待っておられました。ですので、例の帯もお祖父様は買い戻され、母とおてい叔母様に下さったのでした。」+20
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1814. 匿名 2021/08/31(火) 12:53:36
>>1808
泣けるエピソードだ…
大森さん、脚本に加えたかっただろうなぁ+19
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1816. 匿名 2021/08/31(火) 18:59:36
>>1808
栄一は良いとっさまに恵まれたね、かっさまもだけど+21
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1841. 匿名 2021/09/02(木) 11:35:03
>>1808
栄一がすごいのは、実家にお金の仕送りを頼んでも、それだけに頼ろうとせず、パリで投資をやったり、万博に出品した品物を出来るだけ高くで売りさばいて、結局かなりの黒字を出して、帰国時にも数万両分の余ったお金を持ち帰って来て(つまり仕送りも要らずに済んだ)、しかもそれらを帳簿できっちり収支報告したところでしょうね。
しかし栄一としては、民部公子の留学も予定通り何年かかかるかも知れなかったから、保険的な意味で実家にもお金を無心したのだと思います。+21
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