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  • 1785. 匿名 2021/08/29(日) 02:55:51 

    西郷から大久保への手紙(現代語訳)

    「慶喜が隠居したいなどと言ってきていますが、甚だ不届き千万な事であり、切腹させないと済まない事であり・・・(中略)・・・静寛院宮(和宮)様さえもやはり賊の一味になってしまい・・・(後略)」

    ↑和宮も「賊」呼ばわりとは、ドラマの慶喜からしてみれば「何が尊皇だ!」という事になるのだろうか。しかも、家茂の妻として徳川家の人間になり切った和宮に対するとんでもない侮辱でもある。


    次、上野戦争後の天璋院の、仙台藩主伊達慶邦宛ての手紙(現代語訳)

    「五月十五日、薩長やその他諸藩の兵が、上野寛永寺に向けて理不尽に大砲や銃を撃ち込み、勅額(天皇直筆の額)もある中堂の山門を初め、そのほか諸堂社や本坊に至るまで焼き払い・・・(中略)・・・御宝物やその他の貴重な品々を略奪し、実に恐れを知らない事を仕出かし、朝敵である事は言うまでも無く、神敵、仏敵、盗賊の振舞いとも言えましょう・・・(中略)・・・中でも島津家は最悪だったという風聞もあり・・・」
    「最近聞いたところでは、奥羽の諸藩は連携して尽力されているとの事、誠に誠に頼もしい事で、深く感動しております・・・(中略)・・・もちろん会津家にもそちらと協力するように指示しますので、よろしくご相談の上、その他忠義の諸大名をまとめて、悪逆の者どもを退治して下さい・・・(後略)」

    ↑薩摩出身の天璋院が自分の実家(実家の本家)を「悪逆の者」と言い切る。奥羽列藩同盟を「頼もしい」と言うのは現代の目線では「時流が読めていない」などと言えるかも知れし、とにかく公式には戦いをやめて江戸城無血開城した徳川家の立場には反する事にはなるけれども、内容的には、一度は「慶喜の事はどうなってもいいから徳川家の家名存続だけは認めて欲しい」と東征大総督府参謀の西郷宛に書き送っただけはある。(つまり、大坂から「逃げて来た」慶喜の事はやはり赦せなかったとなると思う。)
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