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1812. 匿名 2015/04/22(水) 10:11:23
上方と江戸の対立は江戸時代あたりから?
滑稽本『浮世風呂』(1808)にも江戸女と上方女の言葉争いの描写があるみたい。
以外Wikipediaから引用
歴史が変わるのは江戸時代後期、江戸幕府政権の安定化に伴って江戸の町人文化が発展し、日本の文化・経済の中心が上方から江戸へ移行した時代である(化政文化)。江戸では町人文化の発展とともに江戸言葉が台頭し、上方・江戸の二つの有力方言が併存・拮抗する日本語史上唯一の事態が生じた。[8]。現代の関西と関東の方言対立意識はこうした歴史的背景から形成されたものである。
滑稽本『浮世風呂』(1808)にも江戸女と上方女の言葉争いの描写がある(以下はその一部)。
「そんなら言はうかへ。江戸詞のからを笑ひなはるが、百人一首(ひやくにんし)の歌に何とあるヱ。
「ソレソレ。もう百人一首(ひやくにんし)じゃ。アレハ首(し)じゃない百人一首(ひやくにんしゆ)じゃはいな。まだまアしゃくにんしト言はいで頼母しいナ。
「そりゃア、わたしが言損(いひぞこねへ)にもしろさ。
「そこねへ、じゃない。言損(いひそこない)じゃ。ゑらふ聞づらいナ。芝居など見るに、今が最後(せへご)だ、観念(かんねん[9])何たら言ふたり、大願(でへがん)成就忝(かたじけ)ねへなんのかの言ふて、万歳(まんぜへ)の、才蔵(せへぞう)のと、ぎっぱな[10]男が言ふてじゃが、ひかり人(て)のないさかい、よう済んである。
「そりゃそりゃ。上方も悪い悪い。ひかり人ッサ。ひかるとは稲妻かへ。おつだネヱ。江戸では叱(しか)ると言ふのさ。アイそんな片言は申ません。
「ぎっぱにひかる。なるほど。こりゃ私が誤た。+1
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