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2430. 匿名 2021/06/05(土) 03:28:43
>>2404
うん、確かに慶篤は、ゼーッタイに養子に出されない身分。
長男で、しかも正室の子だから。
これは幕府から見れば、100点満点で世継ぎの条件を揃えている。
幕府のルールでは、側室が長男を生んで、次に正室が次男を産んだら、正室が生んだ次男が「嫡男」となる。
で、烈公が慶喜に特に期待していたのは、まず正室の子であり、次に他の息子たちより性格が骨っぽくて、父親から見たら頼もしく見えたから。(慶篤と慶喜の間に、吉子女王は「二郎麿」という男子を生んでいるが、生まれてひと月ぐらいで亡くなっているはず。)
だから、他の兄・弟たちが次々に養子に出されても、慶喜だけは養子に出されなかった。
それが突然、老中阿部正弘から、「七郎麿様を一橋家の養子にとの公方様(家慶)からのご意向です」と伝えて来た時は、烈公も、「ん? 一橋となると、七郎がひょっとしたら将軍になれる可能性もあるな?」とほくそ笑んだとも。
なにしろ、将軍世継ぎの家定が病弱で、おそらくは子孫も残せないだろうと当時から言われていたから。
将軍家慶も、慶喜には期待したらしいから。
これが、ドラマで慶喜が言った「私には光が過ぎる。それも所詮は幻だ。父上も先々代の公方様も、その幻に惑わされた」という事につながるのか・・・
ところで、これはえげつない話だけど、烈公は、ドスケベとしても有名で、それで江戸城大奥でも毛嫌いされていた。
慶喜が一橋に養子に入った事を警戒した人が多かったのは、一つには、万が一慶喜が将軍になれば、当然その父である烈公も江戸城に入る。
それを大奥の女たちが「あんなヒヒ爺、ムリ!」と嫌ったのも、反慶喜派が多かった理由。+15
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