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2426. 匿名 2021/06/04(金) 22:05:58
>>2421
そもそも将軍家が養子を押し付けてこなければ起こらなかったいざこざ
最初から斉昭を立てておけば、斉昭も改革派だけ贔屓にはしなかったかもしれない+8
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2433. 匿名 2021/06/05(土) 04:00:57
>>2426
将軍の子を養子に迎えようとした水戸の門閥派(のちの諸生党のルーツ)からすれば、藩の財政も弱いし、幕府と関係を強化して出来るだけ援助を引き出そうという、実利的な考えもあったんだよね。
阿波徳島の蜂須賀家が家斉の息子を養子として迎えたのも同じ。
しかし、「殿の弟ぎみ(烈公)がおられるのに養子を迎えるのは筋違いだ!」と抵抗した改革派(のちの天狗党のルーツ)の意見が通り、烈公の藩主就任が決定。
つまり、天狗党の乱のきっかけは、烈公が藩主になった時にさかのぼるんだよね。+10
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