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2398. 匿名 2021/06/04(金) 02:20:55
>>2395
島津重豪は、超現世的な殿様だから。
娘が将軍家斉の御台所になったら、それなりの体面が必要だと思ったか、将軍も顔負けの贅沢ぶり。
藩主に就任した息子の島津斉宣が密かに父の影響力を減殺して財政改革をしようと思ったら、隠居である父親から強制隠居させられて、孫の斉興に藩主の座を譲らせて。
確かに学問を奨励して開明的なところは、曾孫の斉彬にも大きな影響を与えたとは言えるけど。
水戸藩はそれとは違い、大日本史編纂も究極の宗教的熱狂というか、藩自体がイデオロギスト集団になってしまったところが大きいと思う。
そのイデオロギーをめぐる宗派争いみたいに、藩内で血みどろの抗争劇を繰り広げてしまった。
薩摩も派閥争いは大きかったけど、共通の目的のために一致協力するところがあった。
水戸は肝心な時、戊辰戦争にしろ、明治維新にしろ、ああいう状態だったので・・・+3
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