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2354. 匿名 2021/06/03(木) 12:24:34
前にも指摘してた人いたけど、光圀が始めて延々250年もやってた大日本史編纂、藩収の3分の1を超えるような金喰い大事業で藩の財政にダメージを与えまくった
一方で斉昭が藩主になるときも、元々の門閥衆を叩き落として新しく東湖らを重用したから、その落とされた方は恨みつらみがつのった
元々が貧乏な藩だから、藩の要職を外されるとそれだけで生活が逼迫する
東湖を親しく重用する斉昭、その斉昭が目立ちまくって名声が上がる水戸、その陰でずっと悔しい思いで今に見ていろと思っていた人は多かったんだと思う
あと面白い意見では、水戸は江戸に近いから何かあると徒党を組んで江戸に言いつけに行って、それで意見が通ったりして味を占めた
集団で意見をゴリ押しするということに水戸の侍たちは慣れて行った
水戸がもっと江戸から遠かったら、派閥で徒党を組んで殺し合うまでの事態にはならなかったかもしれないと+16
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2359. 匿名 2021/06/03(木) 12:58:34
>>2354
斉昭が安政の大獄の前にも仏教弾圧で謹慎引退を幕府に言い渡された時も改革派が江戸に押し掛けて処分取り消しを訴えたり
斉昭は改革派にとってはカリスマなんだよね
幕府にもガンガン意見するし
そんな父親の跡継ぎが気弱な藩主では気の毒でしかない
しかも周囲には父親とも弟とも何かと比較されたろうし
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2361. 匿名 2021/06/03(木) 13:07:37
>>2354
大日本史編纂で莫大な予算を費やしたのは、生半可に贅沢三昧で散在するより、ある意味面倒な問題だったと思う。
もしも食べ物や、着るものや、骨董品集めで散在したら、家臣たちが無理やり藩主を隠居させて座敷牢に押し込めるという手もあるけど、大日本史という「格調高くて高潔な」事業、しかも朝廷からも褒められていた事業となると、誰も文句が言えない。
ある意味、究極の「贅沢」だったと思う。
それこそ「不要不急」の事業だし、それで誰かのお腹がいっぱいになるというものでもない。
あの「大日本史」で、南朝が正統とされて(当時~今の天皇は北朝の子孫なのに!)、楠木正成が英雄とされたのも大日本史の影響だし、本当にそれで良かったのだろうかとふと思う。+8
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