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2238. 匿名 2021/06/02(水) 03:20:08
天狗党に対する処遇については、薩摩の大久保利通も嘆いたね。
「あまりにもひど過ぎる。これは総大将の一橋公にも相談が無かった事で、討伐軍指揮官の田沼意尊(若年寄・遠江相良藩主)の判断だ。これではもう、幕府もおしまいだ」と。
慶喜に相談が無かったのかどうかは分からないし(慶喜は田沼に後を任せたとも言うし)、田沼は田沼で、天狗党が関東一円で狼藉三昧をした跡を見て怒り心頭に達していたともいうし。
だから、田沼の判断も分からないでもない。
とにかく、桜田門外の変以来、もう大変な世の中なんだよね。
徳川一族の水戸藩の男たちが、よりによって大老を暗殺するとか、天狗党が幕府に攘夷を迫るために挙兵するとか、もうすでに徳川の政権は崩壊していたも同然。+30
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2239. 匿名 2021/06/02(水) 03:49:47
>>2238
追記。
桜田門外の変のあと、幕府老中たちが、溜の間に詰めている大名たち(将軍の枢密院みたいなもの)に意見を聞いた。
ほとんどの大名たちは当たり障りの無い意見を言う中、そして水戸討伐論まで出る中、老中が会津藩主松平容保に質問。
「会津殿はいかがお考えでしょうか?」
「水戸討伐などもってのほかですな。徳川の身内同士で戦うなどあってはならない。それに、水戸はもともと勤皇のお家柄。御公儀としては、そういう水戸家をいかにして包容していくかが大切だと考えますが」
それを伝え聞いた福井の春嶽、
「ほほう。会津殿はなかなか筋の通った方なのだな」と。
容保は個人的に懇意にしていた井伊直弼が暗殺されても、水戸への私的な怨みを抱いていなかった。
さっそく春嶽、慶喜に面会。
「刑部卿様、面白い男がおりますぞ」
「ほほう、越前殿のお眼鏡にかなった男とは、誰ですかな?」
「会津の肥後守殿です」
「ほう、会津殿か」
治安が悪化した京都の警備を任せる京都守護職に、二人して猛烈に容保を推した。
この時、会津が将来新政府軍にボコボコにされる運命が決まったのかも。
容保の重臣らが「そんな役目を引き受けたら、攘夷派の怨みを一手に引き受けて、藩がつぶれます!」と諫める。
春嶽は手紙で容保に、「今朝ご相談した件は、いかがなりましたか? 私はお答えを首を長くして待っているのです。将軍秀忠公や、保科正之公のご子孫の貴方様なら、きっと京都守護職を引き受けて下さると信じているのです。確か会津には、正之公のご遺言がありましたよね? どんな時でも公方様を第一に考えると」と、すごいプレッシャーをかける。
正之の遺言を出された容保は観念。
重臣たちを集め、「お引き受けししようと思う。この際、京都に皆で骨を埋めよう!」と。
実は容保も水戸の血を引いていた。
容保は、水戸第六代藩主徳川治保(はるもり=烈公の祖父)の子孫だった。+22
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