ガールズちゃんねる
  • 1715. 匿名 2015/03/31(火) 01:28:33  ID:yi3tYu6fNS 

    1383の続きを書かせてください。

    生物的な欲望のなすままに「産まれた」子どももまた、生きることと子を残すことに執着するでしょう。その執着が、一体どれだけの生命体を犠牲にしているのかしら。何も犠牲にしていないと言い切れるのかしら。

    生きることや子を残すことは「競争」です。競争であれば、勝者と敗者が存在し、敗者とは犠牲者のことですから、勝ち続ける期間が長いほど、より多くを犠牲にしている事になります。
    果たしてそれは、他を犠牲にしてまで勝ち続けたい、執着していたいと思うことなのでしょうか?

    たとえ仮に生涯に渡って勝ち続ける事が出来たとしても、それは数え切れないほどの犠牲の上に成っているわけです。そして、生涯競争するという事は、常に敗ける恐怖にさいなまれている事を意味しています。それは、自分がこの世を発った後も、子々孫々に渡って続くのです。

    子孫のことまでは知ったことではないと?それでは無責任でしょう。自分が勝ちにこだわるように、子も孫も勝ちにこだわるでしょう。しかし、ずっと勝ち続ける事ができるでしょうか?いずれは敗ける事を受け入れなくてはいけません。それを、自分が受け入れるのか、子や孫に委ねるのか。

    果たして、精神的に強いのは、どちらの方なのでしょうか?
    この自然の摂理を理解した上で、どちらを選択することが、他者に対する思いやりがあると言えるでしょうか?
    未熟というのは、思いやりがある方を指すのでしょうか?思いやりがない方を指すのでしょうか?

    動物であれば、子を残そうとするでしょう。しかし、それには犠牲が生じます。その犠牲について、動物は悩んだりしません。ですが、人間は悩みます。人間は、罪悪感なしに生きられる生物ではないのです。

    今は何の犠牲の上に立っていなくても、子を残し、その子が大きくなってまた子を残す。その過程に犠牲が全くないと確信できるでしょうか?その先は?
    今ではなく、将来における罪悪感から解放されたいと考えた結果が、「子を残さない」という選択にたどり着く事も、あると思います。

    果たして、将来に起こりうる罪悪感を未然に回避する事が、「浅くて未熟」と言えるのでしょうか?

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